2006.04.27
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
報道されない癌治療 さらにその後 その5
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「どうした、お父さん大丈夫か」
 夫が癌研にやってきた。詳しい説明をしていないので、夫は、父の身になにか重篤な術後の合併症かなにかが起きて危篤状態にあるのかと思ったのだ。
 術後合併症であることは確かなんだけど、微妙に説明に困る状況だった。
 肉体面に限っていえば、術後の経過は、すっごく良い。けれどわたしは自分が体力的に限界を迎えているのを感じている。さすが、手術直前まで週4回の社交ダンスを欠かさなかっただけあって、とても元気な病人だった。力がありあまっているようで、押さえ込むには格闘しなきゃならないのだ。背筋が痛くてたまらない。わたしは夫に“せん妄”について簡単な説明をして、
「ま、とにかく見てよ」
 と、理解させるのは、放棄した。まあ、とにかく、見ればわかる。
 この間、父はICUからHCUに、部屋を移動させられていた。癌研のHCUに一室だけ使われていない物置部屋と化しているところがあって、そこに移されていた。ようするに、隔離されたのだった。
 父は夫を見るなり、これまたでかい声で歓迎した。
「おお、シゲちゃん、久しぶりじゃあないか。なんだい、今日は出張かい?」
 夫が答える。
「ええ、いま宮崎から」
「よく来たなあ。宮崎から沖縄へ」
「いや、宮崎から、羽田へ」
「宮崎から羽田へいって、そこから沖縄かい! そりゃ、忙しいな」
 会話がかみ合わない。どうも父は、自分がいま沖縄にいると思っているようだ。
 父はいそいそと起き上がると、
「よし。じゃあ、飲みに行くか、西崎へ。一杯やろう、いい店があるんだよ。いや、まて。そのまえに飯だな。フィッシャーマンズクラブっていう、フランス料理の店に行くか」
 といいながら、ベッドの柵を乗り越えようとしはじめた。ちなみに西崎というのは、沖縄の糸満市にある、飲み屋街である。
 昨日肝臓を切ったばかりの癌患者が、むくりと起き上がったのだから、夫はもうそれだけで青ざめてしまった。
「お、お父さん、駄目ですよ、寝ててください」
 あわてて押さえ込む。
「なんで?」
「なんでって、お父さん、手術したばっかりなんですよ!」
 父は腑に落ちぬ顔で、しばらく黙っていたが、そのうちにまたむくりと起き上がって、繰り返した。
「よし、シゲちゃん、一杯やろう!」
「いや、だから駄目ですって」
「なんで? 一杯ぐらいいいじゃないの。マキコ、冷蔵庫から、エビスビールを出しなさい。冷やしてあるんだよ」
 このやり取りがいつまで続いたかというと、じつは一晩中である。父はときおり目を開けたまま寝て、そしてむくりと起き上がっては、
「一杯飲もう!」
 を繰り返した。わたしは朝の5時にほとほと参って母と姉に電話をいれ、援軍を頼んだ。夫は出張帰りのまま一睡もせずに会社へ行った。わたしは一睡もせずに父の枕元に。元気なのは、肝臓を切ったばかりの父、ひとりだけ、という状況だった。
 昼ぐらいに母がやってきた。父は母を見るとニコニコ笑って、
「おう、よく来たな。そうだなあ、おまえには何を食べさせたらいいかな。そうだ、寿司だな。沖縄にもな、いい寿司屋があるんだよ。よし、寿司を食いに行こう!」
 と、むくりと起き上がって、またベッドの柵を越え始めた。わたしは、疲労が限界まで来ていたのと、術後2日目になると起き上がって歩行訓練をしましょうということになっていたので、もう父が起き上がるのを止めないでおいた。すると父はひらりとベッドの柵を越えて、すたすたと歩き始めた。わたしと母は点滴の台を押しながら、父のあとを追った。



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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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