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そのスピードが、また速い。昔の人はこういうのを“狐が憑いた”といったんじゃないか。歩くというより、小走りなのである。父はHCUのある癌研の3階の廊下を、どこかへ向かって走り続けた。ぐるぐると。
のちに正気に戻った父が語ったのだが、
「俺の記憶では、癌研のそばに大きな池があって(注・東京湾の埋立地に、巨大な池などない!)、森があって(注・森も、ない!)、その先に赤提灯があるんだ(注・あるわけない!)。それにたどり着こうと思って一生懸命歩いていた記憶はあるんだが、赤提灯でなにか飲み食いした記憶は、ないんだよね」
父の脳内では、そんなストーリーが展開されていたようだ。母はすっかり動転して、主治医に尋ねた。
「主人は、ボケてしまったんでしょうか?」
「いえ、ボケとは違います。かならず、元に戻ります」
わたしも尋ねた。
「先生、これは統合失調症じゃないんですか」
「それは、全然別の病気です!」
家族全員が疲弊しきった。昔はこういうとき“付添婦”というのをお願いできたらしいのだが、制度がいろいろ変わったらしく、癌研に、
「付添婦をお願いすることはできないんですか」
と尋ねても、
「そういうご紹介は当方ではできません」
という答えが戻ってくるばかりで、とにかくこの状況に立ち向かえるのは家族だけ、なのだった。しかたがないので、わたしと母は、“便利屋さん”に、半日で3万円という金額を支払って、
「とにかく生命維持装置を引き抜かないようにしてください!」
とお願いして、わたしのマンションに、いったん引きあげることにしたのだが、そこは所詮、他人。しかも介護の資格などがない便利屋さん。どの程度ちゃんと父を看ていてくれたのかさっぱりわからないが、3日目の朝を迎え、癌研に戻ってみると、父は、まだしてなくてはならないはずのカテーテルが抜けているわ、腹のチューブも消えているわ、首にしなければならないはずの点滴は腕についているわ、硬膜外麻酔を外され痛がっているわで、今度は痛みに激しく苦しんでいた。ちなみに硬膜外麻酔になにが入っているかというと、父の場合は“モルヒネ”であった。腹に40センチぐらいの切り傷、そして肝臓を六分の一切除されて、その痛みをモルヒネで押さえ込んでいたのに、麻酔が危険だからととられてしまったのだ。そりゃ痛がるのも当然である。
父はかくして、本来だったら味わわなくていいはずの苦労を味わい、術後3週間を、痛みとせん妄のなかで過ごすことになった(個人的な感想だけど、どうして病院に“付添婦”を呼べなくなったのか? 制度についてはよくわからないのだが、これ、どうにかして欲しい。父のようにせん妄を起こしてしまった患者を抱えた家族は、生活が破綻するぞ。わたしもフリーライターという、時間をフレキシブルに使える立場にあったけど、そのあいだに“時事音痴”を1回お休みにしてもらったり、仕事にものすごく影響を及ぼした。干上がるかと思いましたよ)。
そして、父のせん妄は、退院の日まで終わらなかったのである。程度は少しずつ軽くはなっていったが、すっかり正気に戻ったのは、退院した日のことだった。“せん妄”がどうして起きるのか。のちにネットで調べてみても、どうも明確な答えというのは見当たらなかったが、わたしの実感としていえることは、
「すごく、びっくりしたり、緊張したりすると、起きる」
である。科学的な証明はないけど、父が精神的な落ち着きを少しずつ取り戻すにつれて“こちらの世界”に戻ってくるのを見ていて、感じたことである。父はまず、癌といわれて驚いて、それから手術といわれて肝が縮んで、ICUに入れられてついに“あちらの世界”へ旅立ったような、そんな気がしてならないのだ。ついでにいえば、ときどき励ましてくれる看護師さんが教えてくれたところによれば、どうもこの“せん妄”、男性のほうが起きやすい傾向があるらしい。実際、わたしの友人たちに、
「うちの父親が“術後せん妄”ってのになっちゃってさあ」
と苦労を語ると、
「あ、うちも。うちのお父さんも肺がんの手術のあとに“せん妄”になって、『天井から虫が落ちてくるから払ってくれ』って騒いだ」
とか、
「うちのオヤジが心臓のバイパス手術をしたときに、やっぱり“せん妄”になって、妙なことばかり口走っていた。見えない人が見えたり」
とか、母親が、という人はいなくて、父親が、という話ばっかりだった。癌だけでなく、大きな病気、なんでもいいが、とにかく昨今はなんだって告知の時代だ。男性よ、簡単に“ド肝を抜かれる”ことのないよう、日ごろから告知を受けたとき平静を保っていられるようなシミュレーションをして欲しいと、わたしは言いたい。ホントのホントに、癌治療とは別のことで、えらい苦労をしてしまった。
さて、あれだけわたしに自殺を匂わせ、苦労させた父が、無事に退院して完全に正気に戻ったあとの第一声はこうだった。
「うはは、そうか。癌は消えたか! 儲けたな」
なにが儲けたの、と尋ねると、父はあっけらかんとした顔でこう言ってのけた。
「なにって、寿命だよ、寿命! うん、これで、5年ぐらいは儲けただろ。俺は、ラッキーだなあ」
わたしが男だったら、
「一発、殴らせてくれ!」
と言ったんじゃないかと思う。
こうして地元に戻った父は、社交ダンスを再開して、いまも元気に踊りまくっている。酒も飲むしタバコも吸ってる。そして、次に肝癌が見つかったら、小さいうちに、ラジオ波で焼いてもらうんだと意気込んでいる。
老人元気で、日本は平和。
ぜひ男性の皆様には、長生き時代の心構えを、つくっておいていただきたい。
5回続いたこのお話も、これにておしまい。また来週、お会いしましょう。
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