2006.05.19
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
わかります和田先生、相続税100%を唱える気持ち その2
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 午後2時。癌研の面会時間が始まる時刻だ。
 きょうは締め切りがあるのだから仕事をしよう。そう心に決めていても、どうしても伯母のことが気になってしまう。
 わたしは母親が入院しているあいだ、午後2時になると病院に突撃して、8時の面会終了時間のぎりぎりまで粘って母のそばに付き添った。そして夜中にキーボードを叩いて仕事をした。その後の話になるが、父のときは3週間癌研に泊り込んだ。そんなことが可能だったのは、癌研が自転車ぶっ飛ばしていけばすぐの場所にあったこと、また、わたしがフリーライターという、時間の配分にはかなり融通のきく仕事だったせいだ。このときばかりはフリーライターなんていう無職と変わらない立場にいるのを感謝した。
 癌研の入院患者たちは、ほぼ全員が、連日にわたってだれかしら見舞い客がある。
 従兄弟の頼みで伯母を見舞った日、伯母はいつまでもわたしの手を握り締め、はらはらと涙を流し続けた。
「どうして、こんなことになったのかしらね」
 こんなことが何を指すかわかるだけに、答えられなかった。
 伯父がまだ壮健だったとき、K子ちゃんという障害児がいたものの、伯母は幸福だったように思う。アラスカでトラウトを釣るのが趣味だった伯父は豪快な男で、ジャック・ニクラウスを説き伏せてゴルフコースの設計を引き受けてもらったり、会社の重役としての働きも華々しかった。小柄な伯母は、伯父の庇護のもと、ハウスキーパーのいる屋敷で、来客をもてなすための料理――料亭のようだと評判だった手料理――を作っていればよかった。伯父は家族を帝国ホテルに連泊させて、銀座の名店を全部制覇するのだと連れ立って食べ歩きしたりしていた。あの頃のだれがいまの伯母の窮状を想像できたろう。プールのあった屋敷は次男によって売りに出され、財産と呼べるものは奪われるだけ奪われてしまった。伯父があれだけ、伯母のために万端をつくして逝ったというのに。
 やせ衰えて、黄疸の出た伯母の顔が、辛くて正視できない。
「明日もまた来る」仕事のことを考えると不安だが、そう約束しないと、伯母が握り締める手を離せない。伯母は4人部屋の病室のなかで、小さな体をさらに縮めるようにしていた。これはわたしのまったくの主観だが、大部屋の入院患者の、いわゆる「つつきの順位」というのは、見舞い客によって決まるように思えてならない。母のときには気づかなかったことだが、伯母を見ていてそう思った。家族に大切に扱われている患者は、自然とその場で力を持つのだ。
 伯母の隣のベッドには、四六時中見舞い客がにぎやかにしている50代ぐらいの女性がいて、伯母はその女性に苛められていた。伯母は夜中に寝言で、
「助けて、助けて」
と叫んでしまうことが何度かあったらしく、
「あなたみたいに騒がしい人は、個室に移ればいいのよ。迷惑だわ」
と幾度も嫌味をいわれたという。
 しかしこういう手合いは、わたしのような人間、つまりまあ、三十路で、働いていて少々世間ズレしていて、おそらくはだいぶ鼻っ柱が強そうに見えるであろう女がそばにいるあいだは、なにも発しないのだ。なにか言って来たら、その喧嘩、受けて立つぞとわたしが睨みをきかせているから、おとなしくしている。
 おかげで結局、毎日午後2時が近づくと、愛車のROVERのクロスバイクをぶっ飛ばして伯母のもとに駆けつけることになった。どうやら、伯母を守るのはわたし以外にないようだ。伯母の華やかな時代、彼女を取り巻いていた人たちはどこへ消えてしまったのか。
 伯母はわたしに訴えた。
「マキコさん、わたし、怖くて眠れないの。眠るとまた怖い夢を見て、寝言をいってしまいそうで」
「伯母ちゃん、ちょっと処方を見せて。――ああ、やっぱり。ハルシオンが処方されてるね。あのね、この薬は良く効くんだけど、そのかわり夢をみやすい。たぶん悪い夢は、このせいだよ。あとでわたしが先生に処方を変えてもらえるよう、相談してみてあげる」
 悪夢を見るのはそれだけが理由ではないとはわかっていたが、こういうときに大切なのは、とにかく相手の話に耳を傾けて、少しでも不安を取り去って、安心できるように心を配ってあげることではないかと考えた。
「そうなの? わたし、そういうのはまったくわからなくて」
「大丈夫。まかせて。きょうからはゆっくり眠れるような薬を出してもらおう。なに、昨今はいい薬がたくさんあるんだから」
 伯母は、この病院で小さくなるあまり、回診に廻ってくる医師に相談すらできなかったらしい。優しくて、もともと大人しい性格の伯母は、みずからなにかを主張することが不得手な、昔かたぎの女性なのだ。
 回診にまわってきた医師に、
「お世話になります」
と頭を下げて、伯母の処方について相談する。
「先生、どうも伯母にはハルシオンがあわないようなんです。悪夢を見るらしくて。あと、夜中に途中で覚醒してしまって、あまり眠れていないようです」
「じゃあ、薬を変えましょうか?」
「はい、是非、お願いします」
「それじゃサイレースを出しておきましょう」
「ありがとうございます」
 医師が去っていったあと、伯母に、できるだけ明るい顔を作って伝える。
「よかったね、伯母ちゃん。サイレース、これね、いい薬。きょうから夢もみないでぐっすり眠れるよ。いままでの薬がよくなかったんだ。これなら途中で目も覚めない」
「ありがとう、マキコさん、ありがとう」




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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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