2006.05.19
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
わかります和田先生、相続税100%を唱える気持ち その2
全2ページ
 伯母には3人の子供、末娘のK子ちゃんはしかたないとして、2人の立派な息子がいるのに、なぜいま、ここにひとりなのか。入院設備まである病院を伯父に建ててもらった長男、伯父が働いていた会社で重役になった次男、2人とも、伯父の力で人並み以上の生活を送り、妻子もいて――なのになぜ、伯母はひとりなのか。長男の家の電話番号を母に頼んで調べてもらい、数回、電話したこともあった。
 でも、なにがどう伝わっているのかしらないが、何度電話しても、わたしとわかると取り次いでもらえない。長男の嫁という人が電話に出てきて、いまいかに自分たちの生活だけで大変なのかをまくしたてて、電話を切られた。この人は専業主婦で、子供たちもかなり大きくなって手もかからないはずなのに、病院が休みのはずの日曜すら出てこない。
 伯父が存命だった時代に、ヨーロッパで遊んでいたこの長男、途中で金がなくなったと電話してきて、伯母がフランスまで飛んでお金を届けたこともあったと聞いた。なぜ、さしてつながりがあったわけでもない、親類であっても血のつながりもない、わたしに手を握られているのか。わからない。
 わたしにとって、唯一の気持ちの拠り所というか、それでもわたしが頑張らねばと思う理由は、K子ちゃんにあった。長男の家に預けられたK子ちゃんだけが、わたしに泣きながら電話をかけてきた。
「マキコ、お願い。わたし、そばにいけない。わたし行くとみんな迷惑。マキコ、お母さんをお願い」
 つたない言葉で必死にわたしに頼み込むK子ちゃんの親を思う気持ち、ほんとうなら、伯母の枕辺にずっといたいであろうK子ちゃんの気持ち。この家のなかで、唯一、わたしが人間であると感じたのが、K子ちゃんだった。
 こうして何週間かが過ぎたある日曜、わたしは夫といっしょに伯母のもとを訪れた。廊下で夫に耳打ちされた。
「なあ、伯母さんが羽織っているの、夏物のカーディガンじゃないか。あれじゃ、寒いんじゃないか」
「――そうだね」
 夏の終わりに入院してきた伯母は、10月の冷え込む季節になっても、あいかわらずひとりであった。こういうことに気づくのは、本来ならわたしたちの役目ではないはずだ。
「下のコンビニって衣料品も扱ってるよな。俺、ちょっと探してくる」
「ありがとう、頼んだ」
「いいって。マキ氏が子供のころ可愛がってもらった伯母さんなんだろう? 俺、よく知らないけど、あの伯母さん、なんか好き。いい人だよな」
「うん、いい人なんだ。いい人過ぎたから……いや、なんでもない。なにかいいガウンがあったら、買ってきてちょうだい」
「おし。まかせとけ」
 夫の背中を見やりながら、なぜ、この役目を果たしているのが、わが夫なのかという気持ちを禁じえなかった。これがもし伯母の息子たち、わたしの従兄弟であったなら、伯母はどれだけ救われるだろう。
 この話をこれ以上語るのは辛いので、ここでやめる。けれど、わたしの頭の中に浮かんでは消えていく思い、それを直撃されたのが、『日本の論点 2006』に和田秀樹氏が寄せた「相続税100%こそ超高齢化社会を活性化する究極の税法である」という論文だったのだ。和田氏は税の専門家ではない。本業は、高齢者専門の精神科医である。重要なのは、ここだ。氏が高齢者専門の医師であるということ。和田氏は、わたしがわずかな期間ながら垣間見た高齢の患者の現状を、医師という立場にいたばかりに、徹底的に見ざるを得なかった人だということだ。和田氏はこう述べている。
「ろくに親の介護もしないで、財産だけはみんな子供がもっていくケース。特別養護老人ホームや療養型病床群を使って介護は公に負担させておいて、さまざまな減免措置のおかげで相続税をまったく払わずに巨額の財産を手に入れるケース(相続税を払っているのは死亡者総数の5%前後である)。さらにひどい例では、親を施設に入れておいて、子供がその年金を好きに使ってしまうケースなどがあまりに多く、素直な感情として、これでいいのかという思いに駆られる」
 和田氏はこのあと、相続税100%というのがいかに社会の面でも役に立つかという論を展開している。それについてはまた述べるとして、なによりも重要なのは、和田氏が「相続税は100%にしてしまえ!」と叫びたくなる気持ちの原動力だ。介護を病院にすべて丸投げしておいて、患者を孤独のなかに叩き落しておきながら、ひとたび金のからむ問題になると血眼になる人間の醜さをとことん見た、その憤りが発端になっているように思えて、わたしはそこに共鳴する。
 伯父は伯母に万全の備えをして亡くなっていった。なのに……。いっそ、相続税など100%だったらよかったのだ。そのぶん社会保障がきちっとしているほうが、伯父はどれだけ安心して亡くなっていけたことか。
「生物学的に、あるいは法的に、子供であるというだけで、財産が相続できていいのか」 という和田氏の叫びは、わたしにはなんともストレートに胸に響いてくる。
 わかります、和田先生、あなたの気持ちが。

つづく


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