2006.05.25
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
わかります和田先生、相続税100%を唱える気持ち その3
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 この陰鬱な話をするのも今週が最後だと思うと、わたし自身がほっとする。
 先週も述べたように、相続税100%論を唱えている和田先生は精神科医だ。わたしが癌研で望まずして見てしまったものより、さらにむごい高齢の患者の存在を、和田先生は見たのだと思う。
 財産を我が子に相続させたいと願う感情は、わたしの感覚としては、DNAのなかに組み込まれているんじゃないかと思うほどに、人間の本能に近いものの気がする。相続税100%――蓄財した資産を我が子に与えられず、国家に没収されてしまうというのは、まるで共産主義のような、「人間をわかっていない」制度のように感じられるだろう。だが、和田先生の主張をとおして読んでみると、感情面だけでなく、理屈のうえでもわたしには納得のいくものだった。いま問題とされる格差社会、そして少子化も、相続税100%によって解決がつくのではないか、と目の醒めるような思いがした。
 まず、相続する立場の人間が年々高齢化しているということ。女性の平均寿命が80歳を超えたいま、60歳代で親の財産を相続するということがまったく珍しくなくなった。
「この世代の人たちは、子育ても完了し、住宅ローンも払い終え、さらに自らが年金をもらうという立場にあることが多い。平均2,500万といわれる貯蓄を持ちながら、それすらも平均すると年に30万しか取り崩さずに亡くなっていく」
 つまり、超高齢者が蓄財した資産を受け継ぐのも高齢者、というわけだ。わたしの皮膚感覚としてだが、いまの少子化の原因のひとつに、若い世代の隠れた貧困があるように思える。わたし自身、既婚の30代という、もっとも産むことを期待されている年齢にある。だからたぶん、同じ年代の既婚者も、本音のところではほぼ同じような考えだろう。つまり、「子育てはしたいけれども、老後が不安だ」である。産まない理由はこれに尽きるのではないだろうか。年金は将来破綻するぞ、とこれだけ叫ばれていて不安を持たずにいられるのは、よほど収入に余裕がある人だけだろう。一方で、ダブルインカムでい続けたときと、妻が一度出産し、子育てで一度仕事から離れ、パートなどの収入に頼るようになったときの、その生涯収入の格差は、マネー誌をちょっと開けばいくらでもグラフ化されたものを目にできる。現在の子育てが将来の貧困に直結することぐらい、考えなくてもわかってしまうのだ。
「子供を育てたことのない人間は大人じゃない」
といった精神論をいくらぶつけられようが、貧しい老後を送りたくないのは誰だって同じだ。それなのに40代になるとはじまる介護保険、将来的に必至とされている消費税の増税、いま現在働いている若い世代から奪うだけ奪っていくのに、年金の保障はない。長生きすることがそれだけでリスクになる。団塊あたりの世代が、
「もっとも美味しかった」
という気がする。高度成長期の波に乗り、年功序列制が破綻するギリギリのところですでに地位を得ていて逃げ切り、蓄財も済ませ、かつ、まだ当分は年金制度を支える若い世代に恵まれる。うまくいえないのだが、
「引きこもりという“大蛇”を家に飼っておけるだけ豊かな世代」
のように感じられるわけだ(飼っておけなきゃ追い出すだろう)。この漠然とした不平等感をなんと表現すればいいのだろう、とモヤモヤしていたんだが、和田先生の論文に、
「世代間の不平等」
という用語がでてきて、これだ、と思った。ちなみにこの用語に対して「日本の論点」編集部の解説がついてるんだけど、これを引用すると、
「たとえば年金について、若い人ほど、保険料支払総額に対して受取総額が少なくなる不平等が指摘されている。厚生労働省が行った試算では、1935年生まれの年金受取額は納付保険料の8.3倍、65年生まれで2.7倍、85年生まれで2.3倍となっている」
である。8.3倍! なんだその利回りは、と腰が抜けそうになる。それに比べてわたしたちの世代の、なんと貧しいことか。「いざなぎ景気」を上回る景気だといわれるのに、まったく好景気の実感が伴わない理由、それはまさにこの「世代間の不平等」にあるのだ。働けど働けど我が暮らし楽にならざり。なぜそう感じるのか、わたしは先だって、アフラックの個人年金の申し込みを済ませたのだが、少しでも収入が増えたら、まずは将来の安心を確保しなければ、と走ってしまう。その感覚の理由が、数字で証明されたように思う。申し込みにあたって送られてきた書類には、すでに年金受取り年齢が70歳からになることを前提に、個人年金の受取りができるようなプランが示されていた。40歳はすぐそこなのに、将来の見通しがまったく立っていないようなこの感覚、その理由がこれだったのだ。



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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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