2006.06.01
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
ごめんなさい野口健さん 不埒な富士山清掃 その1
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 ひさびさ登場、『日本の論点』編集長のボスこと渡辺さんに、
「今週は『富士山とごみ』というテーマで行こうか」
といわれたとき、
「ああっ、ついにあの罪を告白する日が来てしまった」
と頭を抱えた。アルピニストの野口健さんは、富士山を世界遺産に登録しようと頑張ってる人だ。で、『日本の論点 2006』に、
「富士山をごみのない山にする――世界遺産登録をめざす前にすべきこと」
という論文を寄稿してる。分厚い『論点』をぺらぺらめくっていて、このお方のお顔写真を目にしたとき、
「す、すまねえ。おれが悪かった」
と自分の不心得っぷりを懺悔したくなった。
 わたしが野口健さんという名前を聞くと罪の意識を抱くようになったそもそもの発端というのは、こうである。
 わたしの所属してるフェンシングチームの先輩の家にお邪魔したときのことだ。先輩といっても、もう五十過ぎなので、当然、二十代の息子さんがいる。先輩は息子さんの肩を叩きながら、
「コイツなー、こんなふうだけど面白いんだぜ。おい、樹海に行ったときの話をしろよ」 とうながした。息子さんが口を開いた。
 それは3年前の大晦日のこと、息子さんは暇な友人たちとトランプで「大貧民」をやって遊んでいた。二十歳になろうとするいい年した若者たちが、いつもの面子で毎度「大貧民」をやったからって、面白くもなんともない。当然、なんかいい暇つぶしはないかなという話になった。そこで息子さんが提案した。
「トランプをシャッフルして、1枚だけ引こう。それがスペードだったら、これから樹海に行くっていうのはどうよ」
 ちなみにこの家は、千葉の浦安にある。浦安といえば、ディズニーランドが、エレクトリカルパレードとかなんとかいって連日花火を打ち上げるので、住民はもう、花火は嬉しくもなんともなくなってしまったという土地柄である。ま、それはどうでもいい。  暇をもてあましていた若者たちは、その提案に目を輝かせた。
 で、シャッフルしてカードを1枚。ずばり、スペードであった。
 おお、出ちまった。ならこれから樹海に行くしかないか。
 とりあえず、ビニールの紐を用意した。ダンボールを捨てるときに縛る、あの白いビニール紐である。あとは懐中電灯。寒さ対策のため、息子さんの少し厚手の衣類を全員が着用して、車に乗り込み、いざ、樹海へ。途中、スノータイヤを履いてないからチェーンを装着するなどの面倒なことが多少あったものの、とにかく無事、樹海についた。午前2時。




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山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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