2006.06.01
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
ごめんなさい野口健さん 不埒な富士山清掃 その1
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 樹海は真っ暗。自分たちの吐く息の音しか聞えない静寂のなかにあった。
 頑丈な木にビニール紐を縛り、目印を作りながら樹海のなかへと踏み込む。足元は雪。白いビニール紐と懐中電灯だけが頼りの危険な挑戦である(筆者注:絶対、真似しないように!)。
 しかし皆の心は高ぶっていた。
 もしかしたら“お宝”が見つかるんじゃないか。
 そんな期待に、若者の心は浮き立つ。
 お宝とはもちろん、樹海で、えーと、なんていえばいいんだ。神に背いた、だとキリスト教チックだし、思いを遂げた、これだとなんか熱愛の男女がコトにおよんだみたいだし、まあ、あれだ、とにかくね、この世からトンズラーした人のアレですよ、アレ。アレがね、発見できるんでないかと。
 で、どうなかったかというと、なんと、あったんである。
 樹海でこの世からトンズラーする人は、じつは樹海にそんなに分け入ってないところで決行しちゃうものらしい。なぜだかはわからない。見つけて欲しいという気持ちがはたらくのかもしれないし、あるいは樹海の風景が単調で変化に乏しいので、自分ではだいぶ奥に入ったつもりでも実際はそうじゃないと思うからか。ま、理由はわからないけど、とにかくそれは、道路から30メートルも離れてないところに、ぶら下がっていたそうだ。
 息子さんと仲間たちは、ポケットのなかを探った。
 するとカレーパンのレシートが一枚でてきた。
 そうか、最後の晩餐はカレーパンだったのか。みんな妙に納得した気分になって、元きた道を戻った。そして浦安に帰った。
 これが話のすべてである。
「それって、通報――しなくていいものなんですか」
 いちおう、大人としての良識を発揮して尋ねてみた。すると息子さんはあっさり答えた。
「えー、だって、面倒じゃないですか。どうして樹海に来たんだとか、聞かれても困るし」
 まあねえ。それはそうなんだけどねえ。
 しかしこの話は、わたしの脳裏にかなり焼きついた。そうか、樹海に行くと、わりと簡単に“お宝”が見つかるものなのか。そうなのか。
 浦安から自宅に戻ったわたしは、某誌の担当編集者に電話した。
「ねー、Mさん、わたしねえ、樹海に行ってみたいんだけど。なんかいい方法ない? 次の企画は『樹海を歩く』にしようよ」
「はあっ? なんでいきなり樹海」
「いやね、それがさ、聞いてくださいよ。樹海ってあんがい簡単に、“お宝”が見つかるものらしい。というのも、わたしの知人の息子さんがね――」
 編集者に、さっき聞いたばかりの話を聞かせた。しかし当然、そんな企画がとおるわけはなく、にべもなく突っぱねられた。で、わたしとしてはそれっきり自分が、
「樹海を歩きたい!」
といったことなどすっかり忘れていたのだが、担当編集者のほうは律儀な性格なので覚えていた。そして数カ月後、連絡が来たのである。
「おい。テメーがいってた樹海を歩くっていうの、かなえてやることにしたよ。昨日な、産経新聞を読んでいたら、『アルピニストの野口健さんと樹海を清掃するエコツアー』ってのが載ってたわ。申し込んでやったから、好きなだけ樹海を歩きやがれ」
 ま、マジですかー。
 忘れた頃に、天地鳴動。
 かくしてわたしは大変後ろめたい気持ちとともに、『エコツアー』なるものに参加することになった。気持ちのいい秋の日曜の朝、東京・大手町の産経新聞社前に集合。善良なる老若男女に、野口健さんを交えた一行を乗せたバスは一路、樹海を目指して走り出したのである。
 果たしてわたしは“お宝”を見つけるのか。
 そしてエコツアーの成り行きは?
 次週、不心得者が懺悔します。

つづく


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