2006.06.15
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
ごめんなさい野口健さん 不埒な富士山清掃 その3
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 インストラクター氏の長い話は、ようやく佳境に入った。そう、わたしの目的である、“お宝”について、である。
「また、この美しい樹海は、残念な話ですが“自殺の名所”として知られています。遺体がよく発見されるのは、春先の雪解けのあとです」
 そうなのか。残念、いまは秋である。同行している編集者に喋りかける。
「聞いた? 春先だって!」
 編集者は無言でわたしの足を蹴った。黙れっ、ボケッ、なんかそんな感じ。このときわたし以外の参加者たちは、インストラクター氏に同調して苦々しい顔をしていた。インストラクター氏は、こういった遺体の処理がどれだけ地元の負担になっているかを切々と訴えている。みながその話にうなずく。たぶん、みなはこう考えてるはずだった。
「樹海で死ぬなんて、ひと迷惑な人たちですね!」
 人間なんてラララララララ、エコな人にかかるとごみでしかないのよね。でっかい、生ごみ。
 でも、もっと不埒者なのは、そんな“お宝”を一目拝みたいと思ってるわたしなわけですが。
「そしてですね、そういった遺体は、くぼ地の陰に横たわっていることが多いのです。みなさん、くぼ地を背に、眠るように横たわっている」
 今度は黙って頭のなかにメモをする。くぼ地、くぼ地の陰ね。了解、“お宝”はそのへんに埋まってると。
 ようやく喋りつかれたのか、インストラクター氏の熱弁は終わり、樹海を歩き出した。その後ろに続く。くぼ地に目を光らせながら。
 それにしても樹海、すごくいいところである。
 空気はすがすがしく、見上げると木々の緑が海のように広がっている。インストラクター氏によれば、冬の樹海もまた美しいらしい。ほとんどの樹木が常緑樹なので、冬の樹海は緑と白のコントラストが鮮やかで感動的なのだとか。わたしは樹海が自殺の名所ということで、かなりおどろおどろしい風景を想像していたのだけど、違った。樹海は、とても美しいのだ。
 そうか、人は美しい場所で自死するものか。
 疲れた人にこの光景は、安らぎだろう。
 ものすごくこっそり白状すると、
「これは死に場所としては最高かもな」
と考えてしまった。漫画家の水木しげる氏が南方戦線での体験をエッセイにしていたのを読んだことがある。中学のころの記憶なので若干の間違いがあるかもしれないが、氏は、
「神隠しというのは実在する。そのとき、山が人を呼ぶのだ。わたしも南方戦線にいたとき、山に呼ばれたことがある。ふらふらとジャングルの山にむかって歩き出して、ハッと気づいて足を止めた」
といった意味のことを記していたように思う。わたしは樹海のなかを歩いていて、
「ああ、この感覚か。たしかに、山が呼ぶ」
と感じた。樹海のふところに抱かれて、雪のなかのくぼ地に横たわり、睡眠薬でも服用して、眠りながら、逝く。なんだかそれがとても魅惑的な気がするのだ。
 なるほど樹海は、危険な場所かもしれない。いろんな意味で、道に迷うね。
 いや、わたしは生きるけどね。憎まれっ子、世に憚るといわれながらでも、生きてやるがね! 心のなかで樹海の誘惑に啖呵をきった。おらぁ、死なねぇぞ!
 こうしてわたしは1時間ほどのハイキングを続けたのだが、飽きた、途中で。たしかに樹海の風景はどこまでいっても変化がないのだ。ちなみにわたしたちは、行政が天然木のチップを撒いて、高低差がないように整備した樹海内の道を歩いていた。しかし、そのルートを従順にたどっていてすら、「たしかにこれは、相当訓練されたインストラクターに引率されていなければ、迷うな」と感じるような単調さだった。チップが目印になるようにも思えるのだが、チップが撒いていないところも、なんとなく正規のルートのように感じてしまうのだ。インストラクター氏の背中を目視しながら、自分のむかっている方向を修正しながら歩かないと、ずれる。なので、訓練もしていない人が樹海を歩くのは、大変危険なことがわかる。決して真似しないように。
 “お宝”をまったく目にすることなく、樹海を抜け、芝生の広場で休憩をとった。この公園になぜかアイスクリーム屋があった。弁当も配られたのだけど、なぜかこのアイスクリームに、みょうに惹かれるものを感じて買った。舐めたら、
「うわ、たいした味じゃないのに、すっげえ美味く感じる」
のだった。お釈迦様が最後の苦行を終えて解脱したとき、スジャータという娘に乳粥をご馳走になるという話があるが、その乳粥はたぶんすごくうまかったはずだ。なぜかそう思った。生きている実感が、アイスの味に満ちていた。
 ま、そんな話はさておいて。樹海の清掃である。
 清掃が始まるまえ、野口さんのミニ講演があった。お話の内容は、『日本の論点 2006』に寄稿された論文とほぼいっしょであった。
 野口さんがエベレストに初めて挑戦したとき、他国の登山隊がヒマラヤのごみ拾いを始めたこと。そのごみのほとんどは、日本、韓国、中国などの登山隊が捨てたとわかるものであったこと。そして他国の登山隊のメンバーのひとりに、
「お前たち日本人は、ヒマラヤをマウントフジにするつもりか」
といわれたこと。それをきっかけに富士山を意識するようになり、夏場に登山してみて、その汚れっぷりに愕然としたこと。そのときちょうど、
「富士山の水」
というのをペットボトルで飲んでいて気持ちが悪くなったこと、などなど。こうして野口さんはただの登山家ではいられなくなり、環境保全の運動に関わらなくてはならなくなったこと――誠実な人なのだ。目の前の問題を見過ごせないのだ。わたしみたいに、
「他人の棄てたごみを、なんでわたしが拾わにゃならん!」
と考えるような心の狭い人間とは、人間の器が違う。
 しかし野口さんの講演に感銘を受けたからといって、すぐに、
「わかりました、“お宝探し”なんて考えずに、樹海のごみをものすごく熱心に拾うことを誓います」
と、わたしが心を変えたかというと、変えなかった。先にもいったように、あのとき、わたしの腹のなかは、真っ黒だったんである。ごみ拾いに協力しつつも、目的はあくまで“お宝”である。みつけてやるぜ、俺の“お宝”、待ってろよ。




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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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