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裏側の月世界
〜 教授と少年の怠惰な関係と、犬 〜 Page:0001 
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裏側の月世界



第1話 「教授と少年の怠惰な関係と、犬」



 赤い太陽を背に、ゆらゆらと砲弾ロケットが降りてくる。
 地球からコロンビヤード砲で発射されたそれは、着陸用の気球に吊られ、推進用のプロペラを廻して郊外の平地を目指す。
 ジャックモール市の街角から、僕はそんな光景を眺めていた。
 ここは、裏側の月世界。

「う、うわっ、ととっ」
……などと、いつまでも感傷にひたっていられる余裕は、ない。
手に持つ綱が、凶悪な力でひっぱられたからだ。
綱の先には、銀色の毛を持つ大きな犬がいる。
 僕は仕方なく、散歩を続けることにした。

この犬は、僕がお世話になっている教授の飼い犬で、名をシルバー。
見たまんまである。
馬じゃあるまいし、どうしてこうも安直に名前をつけるかなぁ。

 シルバーは、綱を持っている僕のことなど無視して、ここ数日で確定した散歩コースをずんずん歩く。
街灯の根元や建物の角にさしかかると、臭いをかいで、必要とあらばマーキングをする。
 すっかり月世界にも慣れたようだ。

 周囲からどう思われようと、この僕、カナタ=ブラウンは、シルバーの世話係ではない。
 教授の所に来てからは、それなりに、家族の一員になろうと努力してるつもりだけど、シルバーが僕のことをどう認識してるかは、かなり謎だ。

 シルバーといい、教授といい、どうしてこうも自分勝手なのかな。
 いや、早起きして散歩に出かける勤勉さがあるだけ、シルバーの方がマシか?
 僕の中に、人間の尊厳にかかわる危険思想が芽生えはじめたころ、シルバーが地面に座り込んだ。
 ばふばふと揺れるしっぽが、僕の足を打つ。

 見れば、町はずれの自動車整備工場前。
 バラされた自動車部品や、そのスクラップが、あたりを埋め尽くしている。
 僕が毎朝、ここで話をするのを覚えてしまったらしい。
 賢い犬だとは思うんだけど……

「よう、今朝も早いな、坊主……それと、シルバーもなっ」
 油まみれの作業着を着たおじさんが、工場の中から顔を出す。
 シルバーは、おじさんの足下まで行き、軽く頭をなでてもらう。
 人見知りをしない犬である。

「おはようございます……で、その……」
「おう、仕上がってるぜ……見てくかい?」
 シルバーを店先に繋いでから、僕はおじさんと一緒に整備工場の中に入った。
 やっと、出発できそうだな。

 教授の車が仕上がっていることを確認してから、僕とシルバーは宿に戻った。
 宿といっても、使っていない部屋を間借りしているだけなので、食事の用意や、洗濯、掃除などは僕がやっている。
 教授から指示されたわけじゃないけど、放っておくと、果てしなく散らかるからね。

 僕は、台所で朝食の準備を済ませる。
 シルバーのエサも用意した。
 あとは、教授を起こして、みんなで朝食にするだけ……なのだが。

 教授の部屋の前に立った。
 シルバーも、教授が起きないとエサがもらえないと知っているから、ついて来ている。
 コンコン……ドアをノックする。
「教授、朝食の用意ができましたよ。起きてください!」

 これで目覚めてくれれば、なんの問題もない。
「……」
 問題あり。

 ゴンゴンゴン、バンバンバン……乱暴にドアをノックして、ついでにケリも入れてみる。
「教授、車の改修が完了したそうですよ!明日にでも出発できますよ!ついでに、朝メシもできてますよ!シルバーもおなかを空かせてますよ!青少年の健康にも悪影響がありますよ!」

 かなり近所迷惑だが、この程度で起きてくれるのなら、近隣住民からの苦情など、グロス単位で対応しよう。
「……」
 反応なし。

 仕方ないので、僕はドアを細く開けて、中の様子をうかがう。
 部屋の奥にあるベットから、白い脚がにゅっと飛び出ている。
 年頃の若者には刺激の強すぎる光景だったが、僕にはあと数年は縁のないモノだ。

 僕は体を部屋の中に滑り込ませると、シルバーが入り込まないよう、すかさずドアを閉じた。
 教授は、シルバーを自分の部屋に入れないよう、厳命している。
 犬が嫌いなわけではないみたいだけど……まぁ、仕事の邪魔をされたくないんだろう。

 部屋の中は、多少は散らかっているものの、おおむね整理されている。
 散らかっているのが教授の仕事で、整理されているのが僕の仕事だ。
 混沌発生機関なんだから、まったくもうっ。

 カーテンを開けて、陽を入れる。