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The Strange Assessor
〜 第一話 査定物=M92F/FS 〜 Page:0006 
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 路地へ逃げこむ。行き止まりだった。両手で銃を構え、振り向くと、年くった男が駆け込んでくる。男の銃口は三國の額を捉えていた。三國の銃口も男の眉間を狙っている。
「あの人……」思わず錬司は呟いてしまった。
 背広姿――長谷部庸一。彼は両目を思い切り見開いて、三國を見据えた。
「長谷部の思考は抽出できないか……」
 ほとんど聞こえないような子桜の呟き。血が乾いて頬に張りついたまま。その上を汗が流れた。能力の使用は体力を急速に削り取ってゆく。
 下のウィンドウ――脳波のずれが大きくなってゆく。二つの波線に分離してしまいそうだった。
 膠着状態。初めての危機。それなのに、錬司は恐怖を感じていなかった。
「何故、殺した?」一歩、長谷部はにじり寄る。
「……誰を」
「私の、妻と、娘だ」もう一歩――銃口が三國の額に触れそうな距離。
「何年前の話だか判らない」
「知っているはずだ」長谷部は距離を保つ。「私に犯行現場を目撃された……、お前が初めて失態を犯したときを覚えているはずだ」
「思い出した……、それで?」
「お前を追うために、私は地位を捨てた」
「そして今本懐を遂げたわけだ。おめでとう。それで?」
 長谷部は、親指で銃の安全装置を解除した。
「仇討ちか」口元を斜めにする。「まったくクラシカルなことで。けど、頼んだのはあんたの嫁さんなんだぞ」
「馬鹿な事を言うんじゃない!」
「娘さん、中学受験に落ちたそうじゃないか。あんたの嫁さん、だいぶ苦にしていたらしい」鼻で笑って、「近所じゅうで、ぺらぺらと自慢していたらしいからな」
 長谷部の顔が怒りで赤くなってゆく。すぐに絶望で血の気を失ってゆく。銃を握る指の関節が白い。
「……私は警察官だ。感情に任せて撃ち殺してしまったら、お前と一緒だ。だからお前を法の裁きに――」
 長谷部は怒りで墓穴を掘った。
 この場では殺すつもりがない――つまりは威嚇射撃しかするつもりはない。
 三國は身体を右に傾けながら、体勢を低くして前に突っ込む。
 とっさの銃撃など慣れているわけがなく、長谷部は反応できない。
 三國は拳銃をつかみ、膝で長谷部の腹部を蹴った。長谷部は膝を突き、前に倒れようとする。三國は力をこめて銃をもぎ取り、長谷部の首筋に押しつけた。頚椎の隙間を吹き飛ばせば即死だ。
 ――お前と一緒だ。
 身体が勝手に動いていた。唸りながら銃を放り投げ捨てると、長谷部のわき腹を蹴飛ばした。短い呻き声――背中に受けて、逃げ出した。必死に薄暗い路地を抜け出し、住宅街を駆け抜ける。
 淡々と依頼を受け、殺してきたのだと確信していた。無表情で、いつも皮肉に笑っていた。こうなりたくなかったのか、なりたかったのか判らない。でも、現実は現実だ。
 俺は正気だ。夢から覚めたような感覚。今は、俺は正気に戻った。
 してきたことを考える――初めて死にたいと思った。
「本当に?」

 三國の前に、右半身だけが血にまみれている子桜が立ちはだかった。
 二人だけの住宅街。右半身が赤く染まっている子桜と、狂いだしそうな顔の三國。遠くから蝉の鳴き声がする。
 子桜は額からベレッタを離し、ゆっくりと三國を狙う。彼女の両腕は微かに震えていた。能力を維持したままの行動――眼の焦点がぼやけだした。
「本当に望んでいるのか」腿の辺りが血で気持ち悪い。「答えなさい」
 三國は一瞬で懐から拳銃を抜き、引き金を引く。かしっ、かしっ、という金属音。弾切れだということを思い出した。頼れるものが何もない。俺のベレッタを持っている女。涙が滲む。
「もうごめんだ……」震えた三國の声は少年そのものだった。「金と戸籍があったって、他に何もない僕は結局のところ、これに頼るしかなかった。住むところだって、金を積んで、銃の腕をちらつかせなければどうにもならなかった」
「――僕が悪いんじゃない、そう言いたい訳?」
 息を呑む三國。
「いやはや……、最近の若者みたいなことを言うね」薄く笑いながら、大げさに肩をすくめた。「けれど、君のした事が一方的に悪いという訳でもない」
「えっ?」
「君のおかげで家庭内暴力がなくなったり、人間関係が円滑になったり、娯楽を提供したり、救われた人だっている。けれどそれには堪えられない訳だ」
 三國は立ち尽くし、子桜の顔を見詰める。
「死ぬのは構わない。ただ、一人でひっそりと死ぬことは許されない。勝手に死んだら、貴方に殺された人の関係者にとっては、何の解決にもならない」子桜は悪意をこめて笑うと、「まあ、貴方は臆病だから、銃口を口に突っ込むだけで終わりでしょうけど」
 疲労感で倒れ伏したい衝動を、捨てばちな笑みで隠した。
「もう、それ以上は言わないで――」
「――だとしたらどうすれば良いのか」三國の懇願に言葉をかぶせる。「法律に自分を委ねれば良い。君がやってきた業績はちゃんと評価されて、君の躊躇や、迷いなんか少しも考慮されずにきっちり殺してくれる」
 一歩ずつ、子桜は歩み寄る。筋肉が言うことを聞かなくなりだした。少しずつ、三國の身体が存在感を失ってゆく。子桜はもう余裕の表情を保てない。
 子桜は小突くように銃口を彼の眉間につきつけた。
「そうすれば、君のしてきたことに意味が生まれる。決して、無駄じゃなくなるんだ」歯を食い縛り、身体に力を入れる。「この場で私に撃ち殺されるのか、あんたのしたことを償うのか……、どちらかを選びなさい」
 無表情とも違った、虚脱した三國。
「……どうして、こんなことを?」
「一人ぐらい、あんたみたいな奴を構いたくなる女はいるものよ」身体を動かさずに一瞬だけ、横目で学習机の方を見た。「一つ教えてあげる。私みたいな人間はね、結果を見ないと――あるいは造らないと気がすまなくなるものなの」
 短い沈黙。
 そして、
「決めたよ」
 何も知らない少年のような声――三國貴彦の本質の声だった。
「――査定終了」
 三國の姿が音もなく掻き消えた。