2,汚れたコンクリートの上で二人は出会った
埃にまみれたコンクリートの上で、僕らは出会った。
彼女を誘って駅前の喫茶店に入った。彼女が心配だったし、それに何より、彼女とこのまま別れたくなかった。
彼女からは酒の匂いこそしなかったが、足取りは少しふらついていた。それでもまっすぐ歩けないほどではない。
ドアを開けると、カラン、と鈴の音が鳴った。
「いらっしゃいませ」
ウェイトレスの声を聞きながら、入り口に近い窓際の席を選んで座った。小さなテーブルを挟んで、彼女と向かい合う。
「アイスコーヒーでいい? 酔いを覚ますにはいいと思うけど」
彼女は無言で頷いてから、付け足す様に、「はい」と答えた。
注文を取りに来たウェイトレスにアイスコーヒーを二つ頼む。ウェイトレスが離れてから改めて彼女の顔を見つめた。
これといった特徴のない彼女の顔。特徴のない、言ってみれば全てに於いて平均的な容姿というのが、実は一番美しく感じられる、というのは何かの本で読んだことだったと思う。
そういった意味では彼女は綺麗な顔立ちをしていると言えるだろう。だが何か、……そう、彼女には"華"がない。そんな感じがした。
初めて見たとき、美しいと感じた瞳も、今は特別綺麗だとは思えない。だけど初めて見た彼女の瞳には空虚と不信を感じさせるものがあって、僕には今の彼女の方が魅力的に見えていた。
僕があまり不躾に見つめていたのだろう。彼女は恥ずかしそうに、あるいは少し怒ったように下を向いてしまって、それを見て僕も妙な気恥ずかしさを感じてしまった。
それを振り切るように話しかける。
「ええと、お互いまだ名前も聞いてないよね」
前置きして、自己紹介を始める。
「僕は赤城隆文、十七歳。征城高校二年。君は?」
「藤谷瑞紀。城南高校の一年生です」
彼女が、俯いていた顔を上げた。
ふじたにみずき。彼女の落ち着いた雰囲気によく似合う、綺麗な響きの名前だと思う。
「……あの、ありがとうございました」
「ああ、いや、大したことしたわけじゃないし。……まあ酒はやめといた方がいいと思うよ。弱いみたいだしね」
嫌みにならないように気を付けながら、少し笑ってみせる。
ウェイトレスがアイスコーヒーを持ってきて、二人の前に置いた。
砂糖を入れ、マイルダーを垂らしてストローで混ぜる。その間二人は無言で、空調の音がいやに大きく聞こえていた。
「……少し、嫌なことがあったんです。それで、お酒でも飲めば忘れられるかなと思って」
「嫌なことって?」
口に出してしまってから、自分のバカさ加減に気付く。普通、そんなことを(それも初対面の人間に)言いたがるものじゃないだろう。自分となんの関わりもない、行きずりの人間に悩みを聞いてもらいたい、なんて事はあるかもしれないけど、彼女はそういう様子には見えない。
案の定、彼女は少し困った顔をして、「別に大したことじゃないですから」と言うと、それきり下を向いてしまった。
「……悪い」
僕が呟くように言うと、彼女は顔を上げてくれた。
「ホントに大した事じゃないですから。自分でもバカみたいって思うぐらい」
それから、喉を鳴らしてコーヒーを一口飲んで、「苦いですね」と笑った。
暫く無言でコーヒーを飲む。女性と話し慣れていない僕は、どんな話をしたらいいのか、適当な話題を思い付かない。
なにか、話がしたい。気ばかりが焦ってしまう。
「赤城さんは……」
「ん?」
「赤城さんは、何をやってたんですか? こんな時間に」
彼女の方から話題を振ってくれた。ほっとすると同時に、結局適当な話題を上げることが出来なかった自分が情けなくなる。
「ああ、僕はアルバイト。大通りのコンビニでバイトやってるんだ」
「坂の上のところですか?」
「そう、そこ」
バイト先のコンビニは彼女の学校のすぐ近くだ。当然彼女の生活圏に入っているのだろう。
「あたし、あそこのソフトクリーム好きで、よく食べに行くんです」
「そうなの? それじゃ、もしかしたら顔を合わせたことがあったかも知れないな」
一度きっかけを見つけてしまうと、話は面白いぐらいにどんどん転がって、好きな音楽とか、よく見るテレビの番組とか、そういった取るに足らない話をした。
彼女とそんな当たり前の会話が出来ることが嬉しくて、時間を忘れるほど楽しかった。
気が付くと一時間近くが経っていた。
その時僕は、彼女と話ができるのが嬉しくて、彼女がどんな表情で、どんな気持ちで話をしているかということに、まったく気が付いていなかった。
もし僕に彼女の様子を気にする余裕があったら、もしかしたら、僕らはもっと別の道を歩くことが出来ていたかも知れない。なんてことを僕は……ずっと後になってから思った。
*
喫茶店を出て、駅までの短い距離を並んで歩く。
瑞紀が住んでいるところは僕の家とは逆方向で、駅まで歩く時間がそのまま、彼女と居られる時間ということになる。
他愛ない話を続けながら、普段は歩かない駅前の繁華街を歩いた。いつもは鬱陶しく思えるイルミネーションも、彼女の背景に見ると綺麗に見えて、そんな自分の単純さに胸中で苦笑した。
駅舎に付く頃になっても、僕はまだ大切なことを言い出せずにいた。このままで終わりにしたくない。また会いたい。そんな簡単なことが言い出せない。
心臓の鼓動が速くなる。ただその一言を言うだけなのに。どくん、どくん、というその音は耳から聞こえそうなほどだ。緊張に喉が渇いてきて、それなのに口は、関係の無い他愛のない話ばかりをぺらぺらと喋る。
気ばかりが焦る。言うべき言葉は、ただ一言なのに。
自動改札を通ったところで、彼女が立ち止まる。僕の顔をまっすぐに見て言った。
「あの、赤城さん。……また、会ってもらえますか?」
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