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DEVILSCARNIVAL
〜 最後の時〜 Page:0002 
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■ 最後の時 ■



            1


「……向こうにいってくれ」
 俺はそいつを睨みながら言う。けれど面倒になった。
 睨む事はもちろんだが、声を発する事、顔を背ける事、息をする事だって面倒になったんだ。
 俺は学校でも有名な問題児。成績不振はもちろん、クラスメートや上級生にはいいように扱われ、内気で陰気な性格のためか、先生たちにも迷惑がられてるんだ。
 俺の味方は姉さんだけ。姉さんだけが、何の偽りもなく、俺に笑いかけてくれる。俺は姉さんだけでいい。姉さんだけいてくれれば、他に何も望まない。
「あたし、あんたに楽しい夢を見せてあげられる。代償はもらうけどね。あたしと契約しなよ」
 俺は虚ろにそいつを見た。
 変わった服を着ている。服というより、舞台衣装といった感じか。赤い髪からは二本の角。これは偽もの、飾りのつもりなんだろうか? 芝居掛かったような微笑を浮かべ、俺に手を差し出してくる。
「楽しい夢、温かい夢、人間は夢を食べる生き物。あたしはあんたに飛びきりの夢を見せてあげられる」
「もう……いいよ」
 俺は眼前のロープを見上げ、身震いする。
「生きてく事は……苦しい。夢なんてもう見る事はできない。疲れたんだ。苦しい事ばっかり。もういいんだ。苦しい事は……もう真っ平なんだよっ!」
「馬鹿ね。首吊るのはもっと苦しいじゃない」
「少年補導か何かのつもりか? 俺の事は放っておいてくれ!」
「あたしを信用しないんだ。ふぅん」
 そいつは後ろ手に手を回し、ゆったりした動作でもう片方の手を翳す。
「あたしを信用しなよ。約束は守るわ。あたしはあんたに楽しい夢をみせてあげられる。あたしはあんたたちの言葉で言う、悪魔、だからね」
 無邪気に笑い、そいつは手を差し出した。掌に赤黒い何か……。
 本で見た事がある。人間の最も大切な臓物である、心臓だ。模型か何かだろうか? それにしちゃ、びくんびくんと蠢く様がリアルで気味が悪い。
「そんなに死にたいなら、あたしが殺ってあげる。これ、痛めつけるだけであんたは死ねる。でもスッゴク苦しいよ」
 と、そいつが心臓に爪を立てた瞬間、俺の胸に激痛が走った。悲鳴をあげてのた打ち回り、俺は歯を食いしばる。
「どう、苦しいよね? あたしと契約するなら、やめてあげるわ」
 無垢な笑みを浮かべてそいつは、心臓を弄ぶ。
 激痛に耐えられなくなった俺は、大きく何度も頷いた。それに満足したのか、そいつは片手を俺の方に伸ばしてくる。天使のような笑みを浮かべて。
「契約成立ね。あたしはティナ。よろしく、圭」
 俺は名乗っていないのに、そいつ、ティナは俺の名を呼んだ。


           2


 契約は明日果たす。
 それだけ言い残し、ティナは俺の前から姿を消した。
 日が暮れ、薄暗くなった町を歩きながら、俺はティナを思い出す。靄がかかったような記憶は、ティナとの出会いが本当なのか、疑わせるには充分だ。俺の元には何も手がかりが残っていない。幻、なんて事、あるのだろうか?
 ふと、見慣れた建物があり、俺は足を止めた。
 この世でもっとも嫌いな建物。俺の苦痛の原因。―――学校。
 俺は早くに両親を無くしている。十歳、歳の離れた姉さんと二人、母方の親戚の家で育った。姉さんが働きに出るようになり、俺が高校に入学すると同時に、俺たちは小さなアパートで二人で暮らすようになった。親戚の叔父さん叔母さんとは仲が悪かった訳じゃないが、向こうにも子供はいるし、二人だけなら充分食っていけるだろうと、姉さんに誘われて俺も一緒に出て来た。
 姉さんには凄く感謝してる。けど……俺はその恩を返せないでいた。
 俺の生活指導とかで毎日のように先生から電話が掛かり、時には学校にまで呼び出されている。俺には自分の態度を改めることも、成績を伸ばすことも出来ず、姉さんには迷惑掛けっぱなしだ。
 そんないろんな事が重なり、俺は生きていく事が嫌になった。俺さえいなければ、姉さんはもっと楽に生きていけただろう。俺が姉さんの幸せを食い潰してる。俺が姉さんを苦しめてる。
 姉さんを苦しませる事が、俺には何より苦痛だから。
 だから……死を選んだ。
 まあ、ティナと会ってしまった事で今日は死ねなかった。ティナは悪魔だと言っていたが、どうせ嘘だろう。そんな馬鹿馬鹿しい事、あってたまるか。恐らく、気を反らす事が目的だったんだろう。
 学校から遠ざかりたく、俺は俯いたまま踵を返した。
 が、誰かにぶつかってよろめく。
「……よう、葛木。こんな時間に何のようだ?」
 寺井。嫌いな学校の中で、俺はこいつが最も嫌いだ。
 金は盗られる、暴力は振るわれる。こいつにとって、俺は餌でしかないんだ。
「なぁ、葛木。ちょっと懐具合がよろしくないんだ。貸してくれるよな」
 依頼でなく、命令。返した事なんて一度だってないくせに。
 俺が黙っている事が気に入らないのか、寺井の手が伸びてきた。
「おい、葛木」
 俺はその手を振り払い、学校内へ猛ダッシュして逃げた。だが体力の差があり過ぎる。足を縺れさせて転倒した俺は捕まり、肩を鷲掴みにされた。
「何で逃げるんだ。気にいらないな」
 殴られる! とっさに目を瞑った。
 悲鳴は俺のものでなく、寺井のものだった。
 目を開けば、額を割られた寺井が俺を驚いたように凝視している。そして俺の手には赤い液体がこびり付いた石。
「……おい……なぁ、話し合おう。悪かったよ、それ、捨ててくれ」
 俺のご機嫌をとるかのように、寺井は猫なで声を出している。だが俺は小さく首を振った。いつもの俺とは、何かが違っていた。
「……いつも……お前は俺をこうやって追い込んだ……」