「…白夜?」
珍しく真面目な声に、藍が白夜を見る。
「あ、クロ。ビールとって」
くるりと振り返って、白夜が言った。
「…………」
藍は言いたい事があるようなないような、喉に何かひっかかった気分を味わった。
無言のままビンを開け、グラスに注いでやる。
白夜は、さして気にもせずに服を崩して、ベットの端に腰掛けて楽な姿勢を作る。
無言無表情を守る藍を横目で観察しながら、嫌がらせでもう一度呼びかける。
「クロ」
「…………っ、いい加減に…」
ビールを注ぐ手が微かに震えた。
クロというのは、藍が白夜に仕える際に、彼から貰った名前である。
普通、名前は個人を表わすものと、家名を表わすものがあるが、王族や、王族から名を戴いた場合、もう一つ名を得ることがある。
当然、これは大変名誉なことであり、個人と、家によって受け継ぐ場合もある。大抵、何らかの功績を残したものに与えられるのだが、藍の場合は嫌がらせにしか思えなかった。
白夜曰く、「お前黒いからクロだ。」…そのときも反発したが、白夜は聞く耳持たず。そして、最近は黒のクロではなくて、苦労のクロなのでは…、と考えてもいる藍であった。
「やーっぱ、クロがいると楽だよなぁ。柳と違って、何処にでもついて来させられるしー」
「俺はお前の弟に同情するぞ。大体、何で俺がお前の身の回りの世話まで、せねばならんのだ!?」
「苦労性だから」
一言。切って捨てられた言葉に、藍が持っていた白夜の上着を床に叩き付ける。
「俺は、そんな性質じゃないっ!」
確かに、昔は違ったと思う。あまり回りを気にしないタイプで、その存在感のため、周囲が彼に気を使っていた。
なのに。それなのに。何故。
今、胃の調子を心配する羽目になっているのだろう。
「だって、賭けに負けたのお前じゃん」
面白がる白夜の態度に更に腹が立つ。
この青年は、自分が彼の元を離れる気がないのをしっかり分かっているのだろう。悔しいが、…というより認めたくはないが、彼は確かに人の上に立つ資質を持っているのだと思う。
人を見、自分という存在を理解している。
…だからといって、この現状に納得が出来るわけではないが。
「んー、やっぱこーやって気楽に呑むほーが、胃にヤサシイよなー」
白夜のために用意された豪奢な寝台に転がって、うめくように零す。シルクの生地も、細かなレースの意匠もお構いなしだ。丹精こめて用意した者たちが見たら、さぞかし嘆くに違いない。
「ら…ッ、!!」
イキナリ、腹ばいになっていた体を飛び起こして、白夜が呑んでいたビールを、グラスごと柔らかな起毛の絨毯へ叩き付けた。
「白夜!?」
滑らかな床に衝撃を緩和され、グラスは割れることなく転がり、ペールトーンの絨毯に染みを作る。
「藍! これ、何処から持ってきた!?」
「持ってきたのはお前だろうが! それは今、開けたばかりだぞ!!」
怒鳴りつける声に、自然と藍の声も荒くなる。
今、白夜の呑んでいたビールは、彼自身がここに来る途中、抜け出した店で勝手に買ってきたものだった。
「ってことは、お前がやったのか」
「馬鹿を言っている場合か。 何かが入っていたんだな?」
冗談をいう余裕があるのか、と安心する藍に、白夜はあっさりと答える。
「致死量のモノじゃないな、多分。…カラキの実とか?」
「吐き出せ!」
「遅いよ、呑んじゃったもん」
カラキの実は、よく菓子類を作る飾りに使用されるが、灰汁抜きをしなければ、その毒性で体に痺れが走ったりする。乾燥させて粉末にすれば、少量、飲料に含んだところで、まず気がつかない。
「…イヤガラセ、か?」
物騒にも暗殺をかけられることに慣れた白夜は、不思議そうに零す。
この実は人間を殺すほどの毒性を持ってはいない。せいぜいが、痺れを起こして動きを鈍くさせる程度だ。
「嫌がらせをうける覚えがあるのか?」
「俺様みたいな美形はその存在だけでウラミを買ったりするけどな。お前じゃねえの?」
「生憎、お前と違って誠実に生きているんでな」
軽く押しやって、白夜をベットに腰掛けさせると、藍は扉へと向かう。
「藍?」
「清水を貰って来る。大人しくしていろ」
ぱたん、という、どうも好きになれない音を聞いて、深く息を吐き出しながら、白夜は自分の指先を見詰めた。
―――既に痺れを感じていて、指先の感覚がない。
「なっさけね――ぇ……」
前のめりに体を倒す。
こうした事には慣れているはずだった。それが、呑み込むまで気がつかない、とは情けないにも程がある。
「そういや久し振り…、だっけか。こーゆーの」
藍が来てからは、ほとんどなかった気がする。やはり、一人護衛がいると違うのか。それとも、白夜の外見が、事を成りやすく見せていたのか。
だが、予測はしていた筈なのだ。
今、白夜が訪れているこの領地の主人を思えば。
白夜は、フェンネルトという国家を支えなければならないのだから。
普段どんな暴君を繕っていても、白夜は自分の立場を理解していて、それに対する責任感は持っていた。
誰にも見せなくても、彼は自分に甘えを許したことはない。それはプライド。
王族という立場の危険さも分かっているから、傍仕えは腕に自信のある者と決めていた。完璧である自分を目指していたから、傍に許すものも完璧でなければならない。
「…………?」
遠く、まだ宴の気配を感じさせる音楽が聞こえる。
開け放した窓から、入り込んでカーテンをゆらす風。
「――――――ッ!」
不意に、部屋の明かりが消えた。
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