とっさに立ち上がろうとして、上手く動かない身体に舌打ちをしたくなる。
だが、それも許されない。
短く空気を切る音が聞こえたかと思ったその瞬間に、首に掛けられた力。
「……く、 ……ッ!」
締め上げるつもりなのか、骨を折るつもりなのか。容赦のない力が掛かる。
巻き付いたのは皮製の鞭だろうか?
パニックに陥りそうになるのを、プライドで制して、出来るだけ冷静に状況を把握しようとする。
他人の気配には敏い筈だった。何故に、侵入を許してしまったのか。
自分の愚かしさに嫌悪が走る。何故、嫌がらせなんて平和な考えが浮かんだんだ? どうして、あらゆる可能性を浮べなかった?
身体の自由は利かない。藍が戻るのを待つしかない。
消極的な方法しかとれない事が情けない。
推測して、10分弱。意識を持たせる自信は、…ない。
「白夜!」
そう考えた先、ドアをけり破って藍が入ってきた。
その手に剣が握られているのを見て、このヤロウ、と思う。
藍は、解っていて白夜をエサにしたのだ。
首の拘束が緩んで、空気が流れ込む。咳き込む白夜の横で、争う気配がしたが、気には留めない。
「ふっ…、はあ…。……くそ」
息を整えて、ついでに髪の乱れも正す。
自分の許せる範囲の姿勢になった上で、白夜は部屋の明かりを灯して、振り向いた。
藍と侵入者を見、そして上品ではない口笛を吹く
「へえ、美人じゃん」
そう、その侵入者は所謂、美女、だった。歳は白夜と変わらないくらいだろうか。
赤みがかった金の髪は後ろに編み込まれているが、それが豊かに波打っているのが解る。はしばみ色の瞳も良い。長い睫毛にけぶるような感じが、その奥の瞳を引き立てる。
用件のせいか、化粧っけもなく洒落た格好でもないが、それでもその緊張感を絶やさない眸と、その引き締まった全身から叩き付けるような殺気が、なかなか好印象に映った。
…白夜には。
「うん、俺様にはトーゼン劣っても、なかなか見れるカオだな。藍相手にイイ勝負ってのも高ポイントってカンジ?」
ダンッと、鈍い音を立てて侵入者の身体が、白夜の近くの壁に叩き付けられた。
「ハイ、捕獲〜」
素早く藍が駆け寄り、腕をとって後ろ手に捻じり上げる。
何やら機嫌の良い白夜を睨み、顔を歪めた藍が息を整えて文句をつける。
「この…っ、人が苦労している時に、何を呑気な…」
白夜が美女の観察をしていたことを言っているらしい。
「ふん? この俺をエサに使っておいて、よくそんなことが言えるな? 俺を護るのがお前の仕事だろ」
「体が痺れたぐらいで死ぬ様な主人はいらん。好都合だ」
藍自身には何気のない言葉ではあったが、覚えのある白夜には引っかかる言い方だった。
だがそれを態度に表わすのは、更に白夜の自尊心に泥を塗る行為だった。だから白夜は、それをただ胸に押し込める。
「で? こいつはどうするんだ?」
女の腕を掴み直して示し、一応、主人の意見を尋ねる藍。
「あぁ、そうそう…」
「話すことはない。殺せ」
白夜が答えるより先に、美女が短く言った。
無表情の瞳には、意志の強さが見て取れた。多分、拷問にかけられたってこの美女は何も語りはしないだろう。その前に、自分で命を絶つかもしれない。
手強そうだな、と呑気に思いながら藍は自分の主人に目を向ける。
しばらく、白夜はそれを無言で見詰めていた。そして、一言。
「やだ」
美女が、一瞬何を言われたのか解らない、という顔を見せ、藍は嫌な予感に顔を顰めた。
「おい、白夜…」
「殺すなんて勿体無いね。こんな美人だし、結構ウデもたつみたいだし」
ね?と得意の笑顔。
小さく、首を傾げてみせたりもして。
無邪気に見えるほど、疑わしい白夜の性格である。
身をかがめ、同じ視線の高さで見つめて。
極上の、それでいて本性を現した絶対的な立場を確信した笑みで、美女へ囁く。
「俺のモノにならない?」
「ふざけるな! 飼われるくらいなら死を選ぶ」
プライドを逆なでられ、カッとして叫ぶ美女。
藍は思わず頭を抱えた。
今の白夜の台詞は、藍が白夜に言われたモノと全く同じだった。その後、行った賭けに負けて、藍は白夜に仕えることになったのである。
「じゃぁ、賭けない?」
同じ、台詞を。
気の置けない笑顔で。有無を言わせない、その絶対の命令に。逆らうことは思いつかなかった。
「今、ここで逃がしてやるよ。何度、狙っても構わない。俺がここに滞在する2週間の間に俺を殺してみろよ。でも、殺せなかったらお前は俺に仕える。簡単だろ?」
「何を馬鹿な…」
「良い条件だと思うけど? 俺を殺す自信があンだろ? 条件を呑まないなら、ここでお前を殺してオシマイだけどさ、ここで条件を呑んで、俺を殺せたらお前の仕事のプライドも信用も守れるぜ」
巧い仕掛け方だと思った。
美女の台詞から、彼女のプライドの高さと、命の価値観を読んで言葉を選んでいる。そして、女の方には精神的な余裕はない。
「どうする?」
女は頷いた。すなわち、是、と。
「平気か?」
無感動な藍の言葉に、苦い笑みが浮かんだ。
「…ってかさ。めっちゃ殴りてえ」
壁に体重を預けて、それでも力が抜けてその場に崩れる。
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