1.拉致被害認定者リスト |
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氏 名 |
当時年齢 |
拉致年月日 |
拉致現場 |
拉致状況 |
現況 |
政府が認定し
北朝鮮も
認めたもの |
横田めぐみ |
13 |
77年11月15日 |
新潟市 |
中学から下校途中で行方不明に |
93年3月13日死亡(自殺) |
市川修一 |
23 |
78年8月12日 |
鹿児島県吹上町 |
増元るみ子さんと吹上浜の海岸に出たまま行方不明 |
79年9月4日死亡(溺死・心臓麻痺) |
増元るみ子 |
24 |
78年8月12日 |
鹿児島県吹上町 |
市川修一さんと吹上浜の海岸に出たまま行方不明 |
81年8月17日死亡(心臓病) |
原敕晁 |
43 |
80年6月17日 |
宮崎市 |
工作員から宮崎市青島海岸に誘われ不明に。北朝鮮側は同意の上と主張 |
86年7月19日死亡(肝硬変) |
田口八重子 |
22 |
78年6月頃 |
東京都 |
ベビーホテルに2人の子供を預けたまま行方不明に。北朝鮮は同意の上と主張 |
86年7月30日死亡(自動車事故)。原さんと結婚 |
有本恵子 |
23 |
83年7月中旬 |
欧州 |
イギリス留学中、コペンハーゲンから家族にあてた手紙を最後に行方不明 |
88年11月4日死亡(ガス中毒) |
石岡亨 |
22 |
80年6月 |
欧州 |
欧州旅行中、「8月、ウィーン」の消印がある手紙が家族に届いたのを最後に行方不明 |
88年11月4日死亡(ガス中毒) |
松木薫 |
26 |
80年6月 |
欧州 |
スペイン留学中にマドリードで行方不明 |
96年8月23日死亡(自動車事故) |
蓮池薫 |
20 |
78年7月31日 |
新潟県柏崎市 |
家族から自転車を借り「ちょっと出かけてくる、すぐ帰る。」と言って自宅を出たまま消息を絶つ |
生存。社会科学院民族研究所資料室翻訳員(日本に永住帰国) |
奥土祐木子 |
22 |
78年7月31日 |
新潟県柏崎市 |
「これからデートで、図書館で待ち合わせしている」と言って、薬局を出たまま消息を絶つ |
生存。平壌在住。蓮池さんと結婚。子供2人(日本に永住帰国) |
地村保志 |
23 |
78年7月7日 |
福井県小浜市 |
婚約者の浜本富貴恵さんとレストランを一緒に出た後、行方不明に |
生存。社会科学院民族研究所資料室翻訳員(日本に永住帰国) |
浜本冨貴恵 |
23 |
78年7月7日 |
福井県小浜市 |
婚約者の地村保志さんとレストランを一緒に出た後、行方不明に |
生存。平壌在住。地村さんと結婚。子供3人(日本に永住帰国) |
曽我ひとみ |
19 |
78年8月12日 |
新潟県佐渡島 |
母親のミヨシさんと買い物に出たまま行方不明に |
生存。元米軍兵士(亡命とされる)と結婚(日本に永住帰国) |
政府は認定したが
北朝鮮は
認めていないもの |
曽我ミヨシ |
46 |
78年8月12日 |
新潟県佐渡島 |
娘のひとみさんと買い物に出たまま行方不明に |
北朝鮮は入国を否定 |
久米裕 |
52 |
77年9月19日 |
石川県能都町 |
貿易を手伝わないかと誘い出され、能登半島の海岸で工作員に拉致。旅館から「宿泊客がいなくなった」と警察に通報 |
拉致を指揮した工作員を国際手配。北朝鮮側は入国を否定 |
拉致が
明らかなもの |
田中実 |
28 |
78年6月 |
ウィーン |
成田空港からウィーンに向けて出発したまま行方不明に |
元工作員の証言あり。外務省が北朝鮮に安否確認要求 |
寺越昭二 |
36 |
63年5月11日 |
石川県志賀町 |
親類2人と日本海に出漁中、行方不明に |
68年病死 |
寺越外雄 |
24 |
63年5月11日 |
石川県志賀町 |
親類2人と日本海に出漁中、行方不明に |
94年病死 |
寺越武志 |
13 |
63年5月11日 |
石川県志賀町 |
叔父2人と日本海に出漁中、行方不明に |
平壌市職業総同盟副委員長。02年10月3日、日本に一時帰国 |
福留貴美子 |
24 |
76年7月 |
モンゴル? |
モンゴルへ行くと出国した後、行方不明に |
88年8月死亡(事故死)。よど号メンバー岡本武と結婚、子供2人 |
小住健蔵 |
51 |
80年頃 |
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東京に就職したあと失踪 |
本人になりすましていた工作員を国際手配。外務省が北朝鮮に安否確認要求 |