2011年7月におこなわれたFIFA女子ワールドカップ大会で、世界一、得点王、MVPを獲得した日本のエースが、さらなる栄誉を手にした。年間最優秀選手は、FIFAが91年から各国代表チームの監督と主将の投票で選ぶ賞で、女子部門は2001年に設けられた(2010年から、男子については記者の投票で選ばれていた欧州最優秀選手「バロンドール」と統合され、「FIFAバロンドール」となった)。これまで男子のFIFA最優秀選手には、ロナウド(ブラジル)、ジダン(仏)といったスター選手が名を連ねており、12年は、昨年のクラブW杯を制したバルセロナ(西)のエース、メッシ(アルゼンチン)が受賞した。アジア人が同賞を受賞したのは、男女を通じて史上初の快挙だ。
最終候補に残っていたのは、澤選手のほか、ブラジルのFWマルタ、そしてW杯の決勝戦で日本と死闘を演じたアメリカのFWアビー・ワンバックの計3人。澤選手は、最終選考で28%の票を獲得し1位となった。「ああいう場で着ると際立つ」ということで選んだ振り袖姿で壇上に上がりスピーチ。いつになく緊張した面持ちだったが、壇を下りてワンバック選手に抱きしめられ「おめでとう。誇りに思う」と声をかけられると、笑顔を見せた。
早くから天才少女といわれ、15歳で日本代表入り。アメリカの女子プロサッカーリーグで活躍したことがあり、日本代表としても男女を通じての最多得点記録をもつ澤選手だが、そのサッカー人生は決して順風満帆ではなかった。同時に、それは日本の女子サッカーが置かれた厳しい環境を象徴しているといってよい。
アメリカの女子サッカー人口が167万人もいるのに対して、日本は4万6000人と選手層が薄い。それゆえ小学生段階では女子の単独チームが少なく、70%は男子に交じって練習せざるをえないのだ。澤選手も例外ではなく、男子のサッカー少年団に入って腕を磨いた。中学生で日本女子サッカーリーグにデビュー。当時同リーグは、93年に始まったJリーグの人気にあやかり94年に「Lリーグ」の略称を採用、プロ契約選手も登場し、多くの外国人選手が集まるなど活況を呈していた。だが、96年のアトランタオリンピックで日本女子代表が3戦全敗したことから観客が激減、さらに2000年シドニーオリンピックへの出場権を逃したことに不況が重なって、企業が撤退したり、プロ契約選手や外国人選手が契約解除されたりするなど、女子サッカーは冬の時代を迎えることになる。03年のW杯にあたっては、協会が選手の要望を募った際、長い沈黙のあとに一人の選手が意を決したように「代表合宿の旅費を前払いして欲しい」と発言して川淵三郎会長(当時)に衝撃を与えたほどだ(毎日新聞2011年7月19日付)。
澤選手は新天地を求めて、99年にアメリカ女子サッカーリーグ (WUSA)へ移籍するが、同リーグも興行収入が伸び悩み04年に休止、帰国せざるをえなかった(のちアメリカ女子プロサッカー〈WPS〉が09年に開幕)。その後は日テレ・ベレーザに所属していたが、昨シーズン終了後には経営難を理由にプロ契約はできないと通告され、現在のINAC神戸に移籍を余儀なくされている。10年近く彼女のマネジメントをしてきた尹台祚(ユン・テジョ)氏は、日本女子サッカー界が誇るスターをCMで使ってもらおうと営業に奔走したが相手にされなかった経験を語っている(朝日新聞1月11日夕刊)。チームメイトを鼓舞するために言った「苦しい時は私の背中を見て」という言葉が説得力をもつのも、彼女が切り開いてきた“いばらの道”を誰もが知っているからだ。
とはいえ、「女子サッカーをもっと盛んにしたい」という使命感だけで、世界の頂点に立てるわけではない。なでしこジャパンの勝因は、足の速さやフィジカルの強さといった個人の能力に頼る傾向が強かった女子サッカー界に、日本人の長所である「俊敏性」と「技術の正確さ」を生かした“攻守にアクションするサッカー”(佐々木則夫監督)を持ち込んだことにある。
W杯1次リーグのメキシコ戦で、日本はショートパスを14本連続で通して澤選手がゴールを決めたが、その間にメキシコの選手は一度もボールに触れることができなかった。ライターの河崎三行氏は、「そんなことは世界最高峰クラブのバルセロナでもなかなかできない」(「週刊文春」2011年7月28日号)と指摘する。澤選手と同時に女子の年間最優秀監督に選ばれた佐々木監督は、男子の最優秀監督となったバルセロナのグアルディオラ監督に、授賞式で「なでしこはバルセロナに似ていると言われたことがあるが、どうか」と尋ねたところ、「われわれ以上だ」と褒められたという。リップサービスもあるだろうが、パスワーク主体のなでしこが世界のサッカー関係者で高く評価されている様子がうかがえる。そして、こうしたスタイルを可能にしているのが、高いボール奪取能力と展開能力をもつ澤選手なのだ。
W杯の優勝は、日本の女子サッカーにさまざまなメリットをもたらした。独仏のプロリーグに所属していた永里優季、安藤梢、宇津木瑠美の3選手に加えて、新たに熊谷紗希選手がドイツへ、鮫島彩選手がアメリカへと海外移籍を実現した。4月には世界ランキング1位のアメリカと4位のブラジル(日本は3位)という強豪2カ国を招いて対抗戦をおこなうことが決まっているが、W杯優勝国だからこそ実現したマッチメイクだといえる。
なにより大きいのは、女子サッカーが注目を集めるようになったことだ。2011年度のなでしこリーグの観客動員は1試合あたり平均3000人と、それまでの倍以上となり、澤選手が所属するINAC神戸が優勝を決めた試合には5500人が詰めかけた。また現在、澤選手のスポンサー契約企業は11社、CM出演は8社にのぼる。
この人気を、かつてのような一過性のものとしないためには、ロンドン五輪でのメダル獲得が必須だ。澤選手自身、W杯優勝直後のインタビューで「注目されたことを持続させるためには、結果を残さないといけない」と述べており、そのことを誰よりもよくわかっている。五輪で日本の実力が証明されれば、なでしこリーグがさらなる注目を集め、再びスポンサーが増える可能性もある。そうすれば各国から優秀な選手が集まって、なでしこリーグでの実績が世界的に評価されるようにもなり、日本女子サッカー界全体の底上げにつながる――つねづね「夢は見るものでなく、かなえるもの」と語る澤選手が見据えているのは、そうした未来にほかならない。
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