「指導力低下」の批判をはね返すべく、野党結集=新党結成の旗をかかげて中央突破をはかろうとした民主党の鳩山代表だったが、党内の合意は得られず、今国会会期末の12月13日をもって辞任することになった。
9月23日の民主党代表選挙のとき、「日本の論点PLUS」も、「かつての党派性を引きずったままの寄り合い所帯を、バランスをとるような党運営をしていてはいずれ党内は割れる」と指摘したが、そのしこりがついに破裂した格好だ。
93年7月、小沢一郎氏(現・自由党党首)は「守旧派」自民党と袂を分かち、「新生党」をつくり、「政治改革」を旗印に細川政権を誕生させた。その後、社会党を“排除”し、新進党を結成、一方、自民党は下野するも、小沢氏の強権に反発した社会党を糾合し、保革連立政権として復権した。
結局、新進党は分裂・解党するが、小沢氏の一連の行動は二大政党制の確立にあった。自民党に拮抗する対抗勢力になるためには、すくなくとも基本政策、とりわけ憲法や安全保障における考え方に大きな差異があってはむずかしい。鳩山氏には、そうした党内の「寄り合い所帯」ぶりに対する読みの甘さがあった。新党結成には何が必要か――小沢氏がいま一歩踏み出せなかった要因がそこにある。
94年6月、自社さ保革連立を誕生させてからすでに8年、連立の中身は自公保に変わったが、衆参両院で過半数を占める。さらに、党内では、いま改革勢力(政府)と抵抗勢力(与党)による政策論争が活気を帯びている。自民党のダイナミズムは民主党を置き去りにして進化しているように見える。これでは対抗勢力であるべき野党に対立軸が構築できないのは自明だ。やむを得ずかかげた旗が「二大政党制」だったとすれば、まさに本末転倒である。
小泉首相は、鳩山氏の談話に対するコメントを求められて、こう言った。「本来は野党第一党は次の政権政党だ。だから重視している。常に野党(のまま)でいいという野党では困る。次の選挙で政権与党になるという意識を持ってやることで、初めて(与党と)建設的な議論が起こる」(産経新聞12月3日付)
いまこそ、民主党議員一人一人が、民主党の存在意義と自らの所属理由を問うべきではないか。そして割れるべくして割れるなら、それはむしろ自民党の分裂をも誘発する政界再編の第一歩といえるのではないか。
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