都市に新たな生命を吹き込む〈再生〉を考えるならば、まず最初にくるべきは「都市の未来をどのようにするか」という確かな展望だろう。その上で、その未来のために何が必要か明らかにし、それを都市に加えるために「街のどの部分は残して、どの部分に変化を与えるのか」徹底的に話し合えばいい。それぞれの地域の過去の遺産としてのすぐれた都市や街路の風景をいたずらに損なうことなく、さらにゆたかに展開させていく中で、はじめて自分たちの街の個性が、独自の街づくりが見えてくるだろう。 一方で都市の建築を長持ちさせ、長期間使い続けることは、地球全体の環境を考える上でも有効である。建築生産のためのエネルギーの削減に繋がるし、取り壊された建築物が廃棄物となって処理される量を減らすこともまた、環境の維持とつながり、地球温暖化の原因である二酸化炭素の排出を減らすことにも役立つ。 冒頭で述べたように、経済性、技術力、地権者の思惑など、複雑に諸条件が絡み合う、〈再生〉の主題を現実の社会で実現していくのは、決して簡単なことではない。社会と人々の価値観が変わらない限り、同じような再開発が繰り返されていくだろう。 だが、長い目で見れば、その方向転換は必ず、払った犠牲に見合うだけのものを、都市の未来にもたらしてくれる。現在を生きるものの責任として、私たちは一歩ずつでも、こうした方向に進んでいかないといけない。同潤会青山アパートの建替え計画は、その礎のひとつとなるべき意味、社会的責任を負う仕事だった。 そもそも青山アパートの建替え構想は、一九六〇年代から、地権者たちの意志によって、何度となく提出されていた。それが、地価高騰の影響などでなかなか進展せず、建物は老朽化するままにまかせられていた。その三十数年来の改築構想が動き出したのが九八年である。土地所有者である東京都が底地払い下げをしたことでようやく地権者たちの望みがかない、今回の建替えに至った。 状況としてはすでに水道、ガスなどすべての生活設備はほとんど機能不全に陥っており、コンクリート自体の耐久年数も限界を迎えていた。一方で都心部にあって高地価の立地は、商業施設と集合住居の複合体というプログラムと、それに相応しい大量の空間供給を要求する。現状のままでの修復・再生は不可能というより他なかった。 しかし、鬱蒼とした明治神宮の森から、道の両脇に、それこそ背後の建物を覆い隠すくらいの勢いで、ケヤキの並木道が続いていく青山アパートの風景は、間違いなく、東京が永遠に受け継いでいかねばならない都市の遺産の一つである。かつて明治神宮の森を育て、同潤会アパートをつくった先人たちの公的精神、「都市に集まって生きていく人々の未来のために」力を尽くしたその志を、受け継いだものにしたい。
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