戦後の教育行政は、一九四七年(昭和二二年)に公布された二つの法律によって支えられてきた。義務教育の規定が記された教育基本法と、各学校組織やその目的と修業年限などを定めた学校教育法である。これにより、教育の機会均等が保証され、教育水準の一律的な向上が実現された。だが七〇年代以降、過熱する受験戦争や校内暴力、いじめなどが問題化し、画一的な教育制度のあり方に、批判が集まることになる。そんな渦中の八四年、中曽根康弘首相(当時)が諮問した臨教審は、「教育の自由化」と「個性重視の教育」を検討するようになった。 これらの方針は、九〇年代から現在に至る改革路線において、徐々に実現されていく。 まず「ゆとり教育」をめざす中で、「生きる力」という新しい学力観が示された。と同時に、「総合的な学習の時間」で、授業内容や教材を各学校の判断や工夫にゆだねるなど、学校現場に自由裁量の余地が拡大する。 小泉内閣が進める構造改革の影響も見逃せない。国と地方の税財政を見直す「三位一体改革」では、地方分権の一環として、小中学校教員の給与の半分を国が負担する「義務教育費国庫負担制度」の廃止・縮減が打ち出された。これに反対した文科省は、独自の動きで地方の自由な取り組みを促す。二〇〇四年八月、河村建夫文科相が発表した「義務教育制度改革案」は、五〇年以上続いてきた義務教育の「六・三制」を弾力化し、市町村が独自に変更可能とする内容であった。 そして、近年ますます顕著なのが、教育における競争原理の導入だ。この動きには、財界や政府主導の規制緩和が一役買ってきた。構造改革特区制度に基づいた認定を受けて、「特例」という形ながら、画期的教育を展開する研究校が続出している。教育の消費者たる子どもや保護者の選択肢は、確実に増えているのだ。経済の観点から教育を論じることの是非を問う声もあるが、これまでのところ、現状肯定派が圧倒的に多い。日本経済研究センターの八代尚宏理事長は、〈公立校も生徒や親による選択制を広げることが不可欠だ。義務教育を競争原理にさらしてよいのかという批判もあるが、教育をサービス産業と考えれば選択制は避けて通れない〉(日本経済新聞〇四年六月一九日付)と結論づけた。
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