1947年10月、全国知事会の初代会長に安井誠一郎都知事が就任して以来、梶原会長まで9人を数えるが、この会長ポストは、これまではどちらかというと、名誉職の色合いが強かった。たとえば6代目の鈴木俊一会長(都知事)は旧内務省=自治省の事務次官だったし、7代目の長野士郎会長(岡山県知事)も同様に次官経験者、8代目の土屋義彦会長(埼玉県知事)は元参議院議長といった具合に、いずれも政府にパイプを持っている知事が就任していた。知事会が国へ陳情するための形式的な役割しか果たしていなかったためだ。しかし、1990年代に入って地方分権が叫ばれるようになると、いわゆる改革派知事が高知や鳥取などあちこちで誕生し、2003年9月、「闘う知事会」をスローガンに就任した梶原氏は、国と地方の税財政改革の先頭に立ち、自治体側の主張を受け入れるよう迫るなど、その代表格だった。
石原東京都知事は、国会議員として環境庁長官や運輸大臣の経験のあることに加え、芥川賞作家、俳優故石原裕次郎の兄という華麗な経歴に彩られており、その強烈な個性と、歯に衣着せぬ言動は、全国の知事のなかでも目立つ存在だった。1999年4月の都知事就任当初から、外形標準課税導入や独自のディ―ゼル車規制を打ち出すなど、国政に対して注文をつける政治スタイルで行政をリードしてきた。たとえば、中国の領土拡張主義に対抗して、東京都小笠原村にある沖ノ鳥島で漁業活動に取り組むことにしたのもそのひとつだ。この件では小泉首相に政府としても漁場環境を整備するように申し入れた(1月31日)。最近では、隣接県の知事とともに首都圏連合を形成して政府への発言力を確保しているが、その手腕への期待は大きい。
しかし、全国知事会のなかには(1)東京都は唯一の地方交付税不交付団体であり、財政の厳しいほかの県に対する認識に欠けている、(2)ワンマンで、強引な政治手法が目立ち、知事会の協調を乱しかねない、(3)義務教育費の国庫負担削減をめぐりあくまで教育への国の関与を主張するなど、発想が地方分権とはなじまない――など、石原氏の会長就任に反対する声もある。
1月26日、外国籍職員の管理職への昇進をめぐり東京都が訴えられていた裁判で、最高裁は、都側の措置を合憲と認めた。石原都知事はこの判決について、「外国人である原告は、管理者として責任ある仕事をしたいのなら日本に帰化していただきたい」と、国籍条項撤廃に対し疑問を投げかけた。判決では、公務員の管理職を「住民の権利義務に直接かかわる公権力を行使したり、重要な施策に関する決定をする職」と規定、日本人以外の就任を想定していないとした。二審での東京高裁では、憲法の「職業選択の自由」や「法の下の平等」に違反するとして、東京都は原告に対して慰謝料の支払いを命じられていた。
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