靖国神社参拝問題は、いまや日中間でもっとも大きな外交課題である。この日の会談で胡主席は「A級戦犯をまつっている靖国神社参拝」、次いで「戦前の歴史を美化した教科書」、そして「台湾を日米共通戦略目標にしている」ことなどを列挙し、これらが「中日関係の発展に悪影響を及ぼす」と指摘した。上記の発言はそのなかのひとつ。この発言の背景には、小泉首相が5月16日、衆院予算委員会の答弁で、「どのような追悼の仕方がいいかは他の国が干渉すべきでない。A級戦犯の話がたびたび論じられるが、『罪を憎んで人を憎まず』は中国の孔子の言葉だ。戦没者全般に敬意と感謝の誠をささげるのがけしからんというのは、いまだに理由がわからない」と自らの靖国参拝の理由を開陳したことがある。上の胡主席発言は、これに対する抗議と牽制のメッセージと受け止められた。
じっさい、翌23日には、17日から日本を訪問中の呉儀副首相が小泉首相との会談を「国内での緊急の公務」を理由に土壇場でキャンセル、予定を1日繰り上げて急きょ帰国した。この外交上の異例の事態に、町村外相は「理由を説明すべきだ。さきの大使館破壊活動と一脈相通じるものがある。外交マナー、ルールをどう考えているのか」と不快感を露わにした。同日夜、中国本国では、外務省報道局長談話を発表し、靖国参拝をめぐる日本の指導者の発言に対する不満が、帰国の理由だったことを明らかにした。公式声明を翻してまで副首相の突然の帰国理由を明らかにしたのは、首相との会談で靖国参拝問題に話がおよべば、日本側は「内政干渉」、「参拝継続」との基本方針を伝えることになる。そうなると中国側としては強硬に抗議せざるを得ず、結果いかんでは、日中関係がさらに悪化しかねないとの懸念が働いたからだといわれる。
小泉首相は、昨年まで4年続けて行ってきた靖国参拝の時期について、「(ことしの)時期は適切に判断する」と目下明言を避けているが、今後の外交日程をみると、6月下旬の廬武鉉・韓国大統領との会談を皮切りに、温家宝・中国首相の愛知万博訪問(9月)、韓国・釜山で行われるAPEC(アジア太平洋経済協力会議=11月)と、中韓両国との会談が目白押しで、席上、歴史問題が話題になるのは必至だ。また、中国ではことしが戦後60年にあたることから歴史的な行事が相次いて行われる。「7・7廬溝橋事件記念日」、「反ファシスト戦争勝利60周年」(8月15日)、「抗日戦争記念日」(9月3日)、「中華人民共和国成立記念日」(10月1日)、「南京事件の日」(12月13日)――はたして、適切な参拝の時期は、あるのだろうか。
じっさい、小泉首相は、自民党総裁選のとき、公開討論会で「首相に就任したら、いかなる批判があろうとも8月15日に必ず参拝する」と公約したのにもかかわらず、過去、参拝時期は定まっていない。首相になった2001年の参拝は、2日前の8月13日。これは、中国や韓国をいたずらに刺激しないほうがよいとの盟友の忠告を受け入れたものだった。翌02年は、4月21日の例大祭に合わせた。このとき、「アジア諸国が不安や警戒の念を抱くことはないと思う」と語った。ついで03年は1月14日に参拝し、「新年は、二度と戦争を起こしてはいけないという決意を新たにするいい時期ではないか」とその日を選んだ理由を述べた。そして、04年は1月1日、初詣のかたちで参拝した。
さきの予算委答弁で首相は、「わたしが靖国神社に参拝するのを軍国主義の美化ととらえられるのは心外だ。日本は平和国家として国際社会の平和構築に努力してきた。戦争にも巻き込まれず、戦争にも行かず、戦争で一人の死者も出していない」と強調してみせた。4月23日、ジャカルタで胡主席と会談したときは、「反省を行動に移してほしい」と参拝中止を求められたが、予算委でのこの回答は、武部幹事長が「内政干渉だ」と発言したこともあって、中国側を大いに刺激することになった。
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