団塊の世代とは、一般に、1947年(昭和22年)から49年(昭和24年)生まれを指す。その数、日本の総人口の5%強にあたる約700万人。いま日本の生産人口=就業者が6400万人だから、その1割以上を占める巨大な人口の塊が、2007年から2010年のあいだに、定年をむかえる。よくいわれる「××年問題」の最大の難問がこの団塊の定年退職だ。年金の負担、リタイアにともなうGDPの減速、消費の低迷、貯蓄率の減少……と、日本社会の大きな変動要因になろうとしているのは、よく知られている。
堺屋氏は、小泉総理が自民党をぶち壊したのはいいが、その結果、官僚主導を温存させてしまった。とりわけ今後に大きな心配の種を残したのは、改革の名のもとに、職縁社会、つまり、人びとが職場の縁(えにし)でつながっていた、日本特有の社会構造や心象風景をいっきに崩壊させてしまったことだ、という。つまり、日本は、欧米とくらべると、改革は15年ほど遅れていて、それ以降の社会のビジョンがまだできあがっていないところに、団塊の定年という、大きな節目が到来してしまった。これをどう乗り切るかで、よくも悪くも日本の未来は決まるというわけである。
団塊個人の暮らしや生き方論は、よく論じられるが、日本社会や日本経済にどんな意味があるのかについては、まだ、十分な議論はない――では、どうすれば「黄金の10年」が迎えられるのか。
これまで職縁社会で働いていた団塊の世代たちの社交や活動は、職場がらみが減って、居住エリアに移る。また60歳を過ぎても働くだろうから、自営業者がふえ、スモールオフィスやホームオフィスができる。消費意欲も旺盛だ。鍵は、この60歳代の巨大なマーケットの活用にある。雇用側からみると、半分の給料で雇えるベテランの労働力が出現するわけだ。タクシーがその活用例で、いまや運転手の多くが、年金をもらいながら乗務している人たちである。団塊世代が自由な労働力として登場し、さらに「“地価社会”が確立されれば、さまざまな分野で、創業者がどっと出てきて、日本経済は一気に活性化する」――このラストチャンスを活かすのは、はたして小泉総理なのか、別の人材なのか、と堺屋氏は結んでいるが、まさにこの数年は、政治経済から価値観の点検まで、日本および日本人にとっては、戦後でもっともおおきなターニング・ポイントであり、正念場のひとつになるにちがいない。
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