北朝鮮の大物工作員として知られる辛光洙容疑者は、1980年に大阪市の店員原敕晁(ただあき)さんを拉致した犯人として2002年8月、警視庁から旅券法違反などの容疑で国際指名手配されていた。その後、拉致被害者の地村保志さん夫妻が、辛を拉致実行犯だったと名指しし、今度は、曽我ひとみさんが、教育係をしていた辛容疑者本人から直接聞いた話として、横田めぐみさんの拉致に加わっていたことを明らかにした。辛容疑者は、85年、韓国潜入中にスパイ容疑で逮捕され、死刑判決を受けたが、南北首脳会談の恩赦で釈放(00年9月)されて北朝鮮に帰国した。05年9月の植民地解放60周年記念大会では、英雄扱いされていた。
曽我さんが警察当局に証言をしたのは、04年11月で、横田夫妻にも話したが、「まだ公表しないでほしいと言われた」(めぐみさんの母・横田早紀江さん)という。警察当局がこれまで伏せていたのは、北朝鮮の報復などを恐れる曽我さんへの配慮だと思われる。日朝政府間交渉の再開が決まったこの時期に表面化したのは、拉致問題の解決に賭ける警察当局の不退転の決意を北朝鮮に伝える意図があったのではないか。6日には、警察庁が、警察法5条に基づいて警視庁、福井県警、新潟県警による共同捜査(国外移送目的略取容疑)を指示した。共同捜査は、96年に新設された警察庁長官の専権事項で、04年4月にイラク人質事件で発令されて以来2度目のことだ。
めぐみさんの弟、横田拓也さんも「北朝鮮が解決済みと一方的に言ってきた拉致問題が、未解決であることがわかったのは大きな前進だ」と評価(6日の記者会見)し、安倍晋三官房長官も6日のテレビ番組で辛容疑者ら3人の身柄引き渡しを強く要求する一方、長い期間、彼らの恐怖の教育を受けてきたのだから、話せないことも多いはず、と拉致被害者を気遣った。
しかし、これをきっかけに事態が急転するかどうか。米国が北朝鮮による偽ドルづくりとマネーロンダリングに金融制裁を発動、これに北朝鮮が反発して6カ国協議の再開が不透明になりつつある昨今、日朝間の拉致問題だけが進展することは考えにくい。いっぽう、関係者の間では「辛容疑者ばかりに注目するのはどうか。彼をスケープゴートにして拉致問題の幕引きに利用するつもりではないか。残る11人の安否不明者の消息やほかの拉致被害者の実態など、真相の徹底解明抜きに国交正常化を急ぐべきでない」との懸念の声も聞かれる。
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