日本の高齢者のもう一つの特徴は、労働意欲の高さだ。 日本は、主要先進国のなかで、高齢になっても働きたい人の割合が群を抜いて高い。一九九八年の統計で比べてみると、六五歳以上の労働力率(労働の意思と能力をもつ人の割合)は三五・九パーセントで、フランスの一・六パーセント、ドイツの四・五パーセント、アメリカの一六・五パーセントなどと比べると、いかに高いかがわかる。実際、フランスの労働組合などは定年年齢の引き下げを求めているほどなのだ。 だからこそ、高齢者が高齢になっても働き続ける社会環境を作ることができれば、年金の支給開始も遅らせることができるし、労働力不足も解消できる。 そこでまず考えられるのが、定年延長である。もともと定年退職という制度は、高齢になった人を労働から解放してあげるという精神で始まり、その後の生活は年金で保障するというものであった。しかしドイツのビスマルクがこの制度を始めた際には、平均寿命も定年もおよそ五〇歳で均衡していた。つまり、平均寿命まで生きたのだから、労働から解放して働かなくても食べていけるようにしてあげるというのが、定年制度の意義であり、年金開始の理由であった。 いまのように男性の平均寿命が七〇代後半の時代に、定年が六〇歳というライフプランに合わせて年金制度を構築するのは、時代錯誤ともいえるのである。 しかしながら日本の場合は、終身雇用のみならず、年功序列の賃金体系が長らく採られていたので、定年延長は高コスト労働者を大量に抱え込むことにつながる。公務員を想定すれば、これはますます高い税負担を国民に強いることになる。すると、いったん定年という形で退職し、その後、能力に応じた適正な賃金で高齢者に労働市場に参入してもらうというほうがはるかに妥当ということになる。 ところが日本では、嘱託などの形で会社に残ったり、子会社などへの就職が斡旋(あっせん)されない限り、高齢という理由だけでほとんどの求人から除外される。つまり、定年間際は一般労働者よりはるかに高い賃金をもらえるのに、いざ定年になると、一般の労働者よりはるかに安い賃金のお手伝い程度の単純労働しか残されないというパラドックスが生じてしまうのだ。
|