二〇〇一年に政府は「五年間で五三〇万人雇用創出プログラム」を策定、二〇〇四年六月に竹中大臣は「二五〇万人の雇用が創出された」と胸を張った。しかしその六月の就業者数は前年同月比三七万人の減少を見た。二〇〇〇年に六四四六万人だった就業者は、二〇〇三年に六三一六万人と一三〇万人も減少している。大臣は「純増ではなく、新規の雇用数である」と説明しているが、「使わなければもっと減っている」という養毛剤メーカーの言い訳みたいで、あまり納得できない。ハゲ族は「純増」を期待して養毛剤を買っているのではないか。 経済産業省も躍起となってベンチャーなどの起業促進をはかっているが、一万や二万の資本金一円起業(最低資本金特例制度適用企業)やボランティア中心のNPO企業が林立しても、その雇用効果は大手メーカー四、五社が中国への生産シフトを行うだけで吹き飛んでしまう。バブル期の過剰雇用をやっとのことで処理しつつある大手企業は、いまや中国への生産シフトを進めざるを得なくなっている。 経済のグローバル化のなかで生じてきた雇用の減少を、国内での政策的な企業創出でカバーすることにはどだい無理がある。経済合理性に反する政策が有効性を維持できないのは、公共投資という名の財政出動によって支えられてきた建設業がいまや瀕死の状況を迎えていることからもわかるだろう。財政で雇用を支える力はもう日本にはないし、するべきでもない。 二〇〇四年六月の完全失業率は四・六パーセント(男四・九パーセント、女四・二パーセント)と、前年同月の五・三パーセントから〇・七ポイント下回った。二〇〇一年七月にそれまでで最悪の五パーセント台にのった完全失業率は、同年一一月の五・五パーセントをピークに二〇〇三年一一月まで五パーセント台が続いていたが、二〇〇四年三月以降は四パーセント台に低下、失業の増加に歯止めがかかっている。 リストラが一段落したことと、中国を中心とするアジアやEU向け輸出の増加がもたらした景気好転の恩恵によるものであるが、一九九二年の二倍の数値なのである。完全失業率五パーセントの衝撃は大きく、政府も矢継ぎ早に雇用対策を打ち出してきたが、その対象は、ともすれば大手企業でリストラ対象となった中高年がイメージされがちだった。マスコミも映像的におさまりのいい、うらぶれた中年サラリーマンの失業を中心に追いかけた。 あたかも日本の失業の核心問題は中高年者の失業のように思われたが、じつは一五〜二四歳までの若年層の失業がより深刻な状況にある。二〇〇四年六月の一五〜二四歳までの完全失業者は六一万人、四五〜五四歳までが五〇万人である。完全失業率は前者が男一一・五パーセント、女七・一パーセント、後者は男四・一パーセント、女二・六パーセントと、格段の差がある。 働く意欲はあるが仕事のない若者六一万人に加え、働く気のないパラサイトが六四万人、こうした蓄え皆無の若年層の無業者一三〇万人。それに、何のスキルも身につけていない低所得の若年フリーター四〇〇万人、身分保障の不安定な派遣社員七二万人。かれらの存在は何をもたらすのか。 第一に消費の低迷、第二にサラ金破産と少年犯罪の激増、第三にスキル不足による国際競争力の低下、そして非婚者の増大によるさらなる人口減少へ、と逆スパイラルが続く。数百万の若者が生活基盤に不安をもち、自立できない現状の改善こそ急務であろう。若者が将来展望を失った国がどうなるか、自爆テロが相次ぐイラクやパレスチナの現状が雄弁に物語っている。
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