7月26日、宮城県北部で震度6以上の地震が1日3回以上も発生した。6月に地震調査委員会が、海溝型の巨大地震である「宮城県沖地震」が「今後30年以内に99%の確率で起きる」と公表したばかりである。くしくも関東大震災(1923年9月1日)から数えて今年は80年目にあたる。
地震調査委員会(津村建四朗委員長)は、政府の地震調査研究推進本部の1機関で、地震防災対策特別措置法に基づいて1995年6月に設置された。首相が地震学者ら15人の委員を任命し、地震の活動状況などを総合的に評価、国や自治体の防災対策に役立てようというものだ。今回、「震源は約12キロと浅く、地殻内部の断層が大きくずれて発生する内陸直下型地震」と発表したように、大規模地震が発生した際には臨時会を開催し、地震の様相をいち早く特定する役目がある。
地震とは、地球を構成している岩石の一部分に急激な運動が起こり、それに伴って地震波を発生する現象で、ある地点における地震動の強さを表わす指標が震度だ。気象庁では0から4、5弱、5強、6弱、6強、7までの10階級に分けている。マグニチュード(M)は地震の規模を表わし、7以上が大地震、5以上〜7未満が中地震、3以上〜5未満が小地震と呼ぶ。震度6以上が3回続いたのは、気象庁の記録が電算化された1926年以来、今回が初めてである。揺れの速度変化の割合を示す最大加速度も、2037.1ガルと観測史上最高を記録する異例さだった。
それでも死者はなく、負傷者591人、建物損壊約6900棟(7月28日現在)の被害で済んだのは、揺れが小刻みで継続時間も短かったためだ。同じ直下型地震でも、地表に現われている活断層がずれた95年1月17日の阪神・淡路大震災は、M7.3、最大震度7で死者・不明者約6400人を数える大惨事となった。直下型地震は、海域の板上の岩盤であるプレートの境界で起こる海溝型地震と違い、震源から地表までの距離が短いのが特徴だ。
これまで後手を踏んでいた政府の地震対策だが、阪神大震災をきっかけに大きく変わった。それまでは文部省、科学技術庁、気象庁などに分散していた地震予知などの対策を一元化、首相を議長とする中央防災会議が新たな防災基本計画を策定し、強化に乗り出すことになった。7月25日、「東南海・南海地震対策特別措置法」が施行され、これに基づき自治体、病院、デパートなどに、津波を避けるなどの防災計画作成を義務づける地震防災対策推進地域の指定に向けた作業をスタートさせたのもその一環である。しかし、今回の宮城県北部地震では、余震の起きる確率の見通しを誤るなどまだ改善すべき点は多い。
「日本書紀」に記されている416年の河内地震を皮切りに、今日まで日本に発生した地震は約5000回といわれる。関東大震災(1923年・M7.9)は死者・不明者約14万2000人にのぼる史上最大の惨事だったが、歴史上、震度6以上の関東大震災クラスの地震は、このほか元禄(1703年)、安政東海(1854年)、安政江戸(1855年)の各地震が記録されている。この10年間でも釧路沖地震(93年)をはじめ、三陸はるか沖(94年)、阪神(95年)、鹿児島県北西部(97年)、岩手県雫石(98年)、鳥取県西部(2000年)、芸予(01年)とほぼ毎年のように起きている。
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