総理大臣(首相)の座に直結する自民党総裁選の投票が、9月20日にせまった。現職の小泉純一郎首相の再選が有力視されているが、その結果とは別に、いま政界では次期衆院選の時期について、来年7月の参院選と同時のダブル選挙になるのでは、という観測が出てきている。
ダブル選挙とは、任期6年の参院議員の通常選挙と、任期は4年だが、解散があるため平均任期3年の衆院議員の選挙を同じ投票日に行なう、衆参同日選挙のことだ。組織や支持者をフルに動員できて選挙運動の相乗効果があがるといわれ、確かに戦後2回実施されたダブル選挙は、いずれも与党の自民党が大勝し、党勢回復につながった。なお投票日を衆参で1週間ずらす変則ダブル選挙というやり方も検討されたことがある。
次期衆院選をめぐっては、小泉再選を有利に運ぶため、総裁選前に首相と山崎拓幹事長が主導して、総裁選、内閣改造、衆院選をセットにした政治日程をつくり、11月9日投票を決定したかのような見方が広がっている。しかし、今回の総裁選で小泉支持にまわった橋本派の青木幹雄参院幹事長を中心に、ここにきて衆院解散を急ぐ必要はないとの意見が台頭してきた。背景には、民主、自由両党の合併が予想以上に国民の支持を集めており、衆院単独の選挙では必ずしも勝敗の行方が楽観できない情勢になってきていることがある。参院側にはもともと、国民の人気が高い小泉首相のもとでダブル選挙をやって、6年前に失った議席を回復するのが一番確実だという待望論が根強い。
80年6月22日のダブル選挙は、派閥抗争の挙げ句福田赳夫前首相ら反主流の61人が本会議を欠席したため、社会、公明、民社の野党3党提出の大平正芳内閣不信任決議案が可決され、大平首相は内閣総辞職をせず解散に踏み切って(“ハプニング解散”といわれた)ダブル選挙になった。しかも選挙中に首相が心筋梗塞で急死し、分裂選挙が一転して弔い選挙になったこともあり、投票率は衆院74.57%、参院全国区74.51%、地方区74.54%と前回を上回り、議席は衆院284(79年、248)、参院69と圧勝した。86年7月6日のダブル選挙は、当時の中曽根康弘首相が金丸信幹事長と組んで、「正月からやろうと考えていた。定数是正の周知期間があるから解散は無理だと思わせた。死んだふりをした」(中曽根首相の“死んだふり解散”)政略的に仕掛けた選挙だった。その狙い通りに議席は、衆院300(83年、250)、参院72と大勝し、その功績から総裁任期が特例として1年(当時は2期4年が原則)延長された。
ダブル選挙については、80年当時、後藤田正晴自治相が伊東正義官房長官に「事務当局はできないと言っているが、総理がやれというならやる」と語ったように、もともと問題が多い選挙のやり方だとされてきた。第一に、国会には非改選の参院議員しかいなくなるため、国家の危急存亡のとき対応すべき政府と国会が機能しないとの懸念がある。さらに首相が恣意的に解散権を行使することで議員任期の4年が形骸化する、政治空白を長引かせる、与党の党利党略を横行させ憲政の常道にもとる――などである。しかし、憲法7条の規定による解散がいまでは通例となっており、ダブル選挙も違憲とはされていない。衆院議員の任期切れは来年6月24日、参院議員改選組の任期切れは同7月11日で、投票が同日か変則かは別にしてダブル選挙をやれる環境が残っているのは否定できない。小泉首相が総裁選で亀井静香前政調会長ら3人の対立候補にかなりの差をつけて再選すれば発言権がいっそう強化され、議席回復が悲願の青木幹事長の意をくんで政治日程を変更することも考えられる。ダブル選挙は組織型選挙では不利と主張する公明党の動きいかんにもよるが、選挙はいったん走り出すと止まらないものであり、「11月選挙」は動かないか。
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