9月9日、日本労働組合総連合会(連合)傘下の鉄鋼労連、造船重機労連、非鉄連合の3産業別労働組合が統合し、日本基幹産業労働組合連合会(基幹労連)が発足した。352組合、約25万人の規模。新日本製鉄、三菱重工、三井造船など、日本を代表する「重厚長大」企業の組合員が参加している。初代委員長には宮園哲郎鉄鋼労連委員長が就任した。
日本経済の屋台骨を支えているとの自負を込めて「基幹」の名をつけたが、連合の金属労協加盟の主力産別労組として「春闘」の牽引車だったかつての威勢はいまはない。統合の背景には、宮園委員長が「ものづくり産業に働く者の組織力の強化が最大の眼目」と挨拶したことに象徴されるように、リストラの横行する製造業の雇用安定がある。一方で日本の製造業の復権を目指して、産業政策の策定、合理化対策などに万全の体制で取り組む意向を表明した。つまり、組織拡大によって連合の内外で発言力を高め、業界団体、官公庁や政策、制度要求に影響力を反映させることが統合の狙いだ。
鉄鋼労連は、1970年代から電機労連、自動車労連とともに労使交渉で新年度の賃金水準を決める春季闘争の主役を務めてきた。75年の春闘では、定期昇給分、物価上昇分に生活向上分を加える新しい要求方式を打ち出したほどだ。だが、円高不況のあおりで87年以降は産業空洞化問題も加わって勢いが衰え、春闘相場づくりの主役の座を電機、自動車労連に譲るなど低迷してきた。
これは鉄鋼労連だけに限らず、労働界全体にもいえる。デフレ不況下のいまは失業、リストラという雇用問題が労使双方の課題として前面にあらわれてきたからだ。とりわけ深刻なのは組織力の低下傾向が止まらない点。「労働組合基礎調査」によると、83年に組合員数は約1241万人、全労働者に占める割合である推定組織率は29.7%だったのが、93年は組織率24.2%、2002年6月は20.2%、組合員数は8年連続減少して約1080万人。基幹労連も例外でなく、統合に合意した3年前に比べ約3万人減った。
総評、同盟、中立労連、新産別の労働4団体が大同団結して連合が発足したのは89年11月21日。74組織、約789万人が加盟するナショナルセンター(労働中央団体)が誕生した。このとき初代の山岸章会長は「中小労組の労働者、パート、派遣労働者に光を当てた運動、組織拡大の重要性」を強調したが、その後は伸び悩んでいた。わずかに93年7月、非自民の細川連立政権が成立したとき、その影響力を行使したのが目立つぐらいだ。
連合はいま、会長ポストをめぐって有力産別労組のトップが真っ向から対立している。再選を目指す現職の笹森清会長(電力総連顧問)に、民間最大のUIゼンセン同盟(82万4000人)をバックにした高木剛会長が挑戦。笹森氏は「中央官庁に連合の旗を」と官公労への組織拡大を主張、一方の高木氏は「未組織労働者の組織化」を強調するなど路線対立が鮮明化している。
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