10月10日、小泉純一郎首相は衆議院を解散した。これで10月28日公示、11月9日投票の衆議院選挙が始まったわけだが、この選挙は大日本帝国憲法のもとでの第1回選挙(1890.7.1)から数えて43回目。戦後初は第22回選挙(1946.4.10)で、日本国憲法が施行(1947.5.3)されて以降の選挙は、唯一の任期満了選挙(第34回=1976.12.5)を除いていずれも解散を経た選挙だ。
衆議院の解散は首相しか持てない権限だ。解散権とは、4年の任期が満了する前に全議員の身分を失わせるもので、首相が持つ専権事項、“伝家の宝刀”といわれるゆえんである。憲法7条では解散は「天皇の国事行為」であり、「内閣の助言と承認に基づいて行う」と規定されている。首相は、全閣僚一致で解散を閣議決定すると、宮内庁を通じ天皇に解散詔書を要請、官房長官が詔書を紫の袱紗(ふくさ)に包んで衆議院へ運び、事務総長を通じて衆議院議長に伝達、衆議院議長は「憲法7条により衆議院を解散する」と詔書を朗読する――というのが解散のセレモニーだ。
このとき、衆議院本会議場では議員がいっせいに「万歳」を唱和、拍手して散会するのが恒例になっている。第2回帝国議会の1891年12月、松方正義首相が最初の解散をしたときから始まった。当時の新聞には「民党万歳愉快愉快と絶叫」と報じられている。また1917年1月、寺内正毅首相が解散したときの衆議院議事速記録には「万歳ト叫フ者アリ」とある。しかし、議員を失職するのになぜ万歳するのか。英国議会で「“女王さま、長生きを”と唱和するのにならって天皇の長寿を祈念した」とか「戦前は政党に対抗する手段として抜き打ち的に解散するケースが多く、なかばやけくそでやるようになった」など諸説があるが、衆議院事務局も「慣例」というだけでよくわからない。
一方、憲法69条は「衆議院で不信任の決議案を可決し、または信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職しなければならない」と規定している。戦後、この69条解散になったのは、1948年12月(吉田茂首相)、1953年3月(吉田首相)、1980年5月(大平正芳首相)、1993年6月(宮沢喜一首相)の4回だけ。
解散には、そのときの政治情勢や、解散の引き金になった出来事などを反映させたニックネームがつけられる。よく知られた例に「バカヤロー解散」(1953.3.14、吉田首相が野党質問に“バカヤロー”と失言、不信任案が成立)、「ハプニング解散」(1980.5.19、野党が提出した大平首相の不信任案に与党の一部が欠席したため成立、戦後初の衆参同日選挙に)、「死んだふり解散」(1986.6.2、中曽根康弘首相が定数是正の周知期間を設け、解散は無理だと思わせておいて衆参同日選挙に)がある。今度の選挙では、小泉首相は「改革解散」と名付けたが、綿貫民輔前衆議院議長は「なれ合い解散」、菅直人民主党代表は「マニフェスト解散」、土井たか子社民党党首は「争点隠し解散」とそれぞれ思いは違う。
ところで解散、総選挙の結果、過去2回、政権が交代している。特別国会の首相指名選挙で解散したときの首相が選ばれなかった。1947年4月、自由、進歩両党の吉田内閣が、社会、民主、国民協同の3党連立による片山哲内閣に、また1993年7月、宮沢・自民党内閣が細川護煕・非自民8党派連立内閣に代わった。今回は有権者がどんな選択をするだろうか。
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