12月11〜12日、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟10カ国と日本による特別首脳会議が東京で開かれ、「東京宣言」を採択した。また、日本は、ASEANの基本条約である「東南アジア友好協力条約」(TAC)に加盟することを表明した。
ASEANは、1967年8月、東西冷戦と地域対立を切り離し、社会、経済、文化面の相互協力を促進することを目的に、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポールの5カ国で設立された連合体で、TACは、76年、これらの各国が主権の尊重や領土の保全、内政不干渉、紛争の平和的解決などを規定した条約。ASEANはその後、加盟国相互で特恵制度の拡大や関税引き下げなど経済協力関係を強化することで、次第に経済発展をとげ、いまでは地域協力機構のモデルといわれている。加盟国もブルネイ、ベトナム、ラオス、ミャンマーが加盟することによって10カ国に増えた。また、「ASEAN地域フォーラム」(ARF)を作り、域外国と協力する枠組みづくりも進めている。
日本がASEANとの協力関係の強化に乗り出したのは77年、福田首相のときで、第2回ASEAN拡大外相会議に参加したのが最初だ。その際、「平和に徹し、真の友人として信頼を築き、対等の協力者となる」との「福田ドクトリン」を掲げた。小泉首相は、福田氏の弟子にあたるが、10月のバリ島首脳会議以来、間をおかずに各国首脳を東京に招いたのは、ASEAN重視の外交戦略を再確認し、今後の東南アジア外交におけるイニシアチブを確保するとの思惑があった。
小泉首相は、「ASEAN重視の政策は決して揺るがず、お互いの存在を必要としている」と、10月にいったん見送ったTAC加盟を約束して、日本との対等な関係づくりを目指すASEANの強い要請にこたえた。TACはもともと、冷戦時代に社会主義圏に対抗するためにつくられた条約だったが、内政不干渉の原則がテロや人権侵害の野放しにつながることを懸念した米国はこれに批判的だった。日本もこれに歩調を合わせ、加盟に消極的だった。しかし85年以降は、ASEANは域外国にも加盟を求めるようになり、中国とインドが10月に加盟、日本の未加盟を批判していた。
今回、これまでの経済分野の協力にとどまらず、政治、安全保障分野での協力を強化することや、「東南アジア共同体」の構築を盛り込んだ「東京宣言」の採択に合意した。この背景には、中国が存在感と影響力を強めていることに対する東南アジア各国共通の警戒感がある。GDP(国内生産力)では日本の約30分の1の中国だが、最近の経済成長はめざましい。その点、日本はFTA(自由貿易協定)締結交渉でも出遅れている。ASEANは、その独特の現実主義的なバランス感覚から、中国を取り込んでしまおうというものだ。
今回「東京宣言」に盛り込まれた「東南アジア共同体」構想は、経済、政治、安保と包括的にASEANとの関係強化を図ることで、東南アジアでの日本の存在感を高めようという狙いがある。いわばEU(欧州連合)のアジア版だ。しかしその前途は必ずしも平坦でない。というのも、89年にマハティール・マレーシア首相が「東アジア経済協力体」(EAEC)構想を打ち出し、米国抜きの経済ブロックづくりを目指したが、結局、米国につぶされた経緯があるからだ。また、中長期で見た場合、中国の台頭が必至とみられるだけに、ASEAN諸国にはフリーハンドを残しておきたいとの思惑があり、日本のかかわり方も容易ではなさそうだ。
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