イラクに駐留する米兵によるイラク人捕虜への虐待は、米国内だけでなく世界的にも衝撃を与えた。5月10日、ブッシュ米大統領は、記者団に対し、虐待事件の全面的解明と再発防止を強調しつつ、「虐待事件は米国の大義にも疑問を投げかけてしまっている」と、事態を深刻に受け止めていることを示した。
バグダッド郊外のアブグレイブ刑務所に収容されていたイラク人の被拘束者が性的虐待などを受け、なかには死者も出ていたことが発覚したのはさる1月のこと、米軍関係者の内部告発がきっかけだった。4月下旬ごろには、米メディアに虐待の事実を裏づける写真が暴露され、大きな反響を呼ぶことになった。赤十字国際委員会も人権侵害の恐れがあると指摘、戦争捕虜などの扱いを規定した国際法である「ジュネーブ条約」に違反している可能性が出てきた。米ワシントン・ポスト紙は、社説(5月6日付)で「(イラクでの被拘束者は)ジュネーブ条約の規制を受けない、と公言したラムズフェルド国防長官の姿勢が虐待事件の元凶だ。基本的人権の尊重をおろそかにするのを誘発した」と、名指しで国防長官を非難した。
ジュネーブ条約は、第2次大戦での残虐行為の反省に立ち、1949年に国連で採択された協定で、2003年3月現在、190ヵ国が締結している。条約は、戦地の傷病者の待遇、海上の傷病者の待遇、捕虜の扱い、文民の保護の4つの内容から構成されている。戦争捕虜に関する第3条約では、正規の軍人や民兵隊、義勇軍を対象に、(1)捕虜の人道的待遇、(2)暴行や侮辱、公衆の好奇心からの保護、(3)報復の禁止――を締約国に義務づけていると同時に公平な裁判を保証している。
現在、米国は、テロリスト、旧フセイン政権についての重要情報保持者、殺人を犯したサダム挺身隊のメンバー――を拘束の対象としているが、ジュネーブ条約の対象として適用するかどうかは明確にしていない。ただ、アフガニスタンでは、旧支配勢力のタリバンや国際テロ組織アル・カーイダの構成員を、正規兵ではない「敵性戦闘員」と規定し、同条約の適用外としていたことから、イラクでも同様にみなしていると思われる。野放図な虐待事件を招いた一因だ。
ラムズフェルド国防長官は、7日の軍事委員会公聴会で、野党の民主党から責任を追及され、辞任を迫られたが、「米軍のごく一部による行為だ。虐待問題が政治的に利用されている」と弁明し、辞任は拒否した。これまでの質疑や報道によると、過去約4万4000人のイラク人が拘束され、現在は約8000人が拘束されているとみられる。収容施設の管理は、米軍情報機関やCIAに委任されていた。赤十字国際委員会報告は、拘束された70〜90%は誤認逮捕とみられることを明らかにした。
今回の虐待事件がアメリカ社会にもたらした影響は深刻である。なによりもアメリカ建国の精神である「自由」と「人権」が踏みにじられたことになるからだ。当然、イラクを独裁政治から解放し、自由と民主主義を前提にした新生イラクを建設するという大義名分が成り立たなくなる。それは結果として反米勢力を勢いづかせることになり、今後の中東和平の行方にも大きな影を落とすことになった。CNNテレビ、USAトゥディー紙、ギャラップ社が10日に発表した世論調査結果によると、ブッシュ大統領の支持率は46%、これに対し不支持率は51%で、初めて不支持率が支持率を上回った。11月の大統領選挙におけるブッシュ大統領の再選に"赤信号"が灯ったといえる。11日には国際テロ組織、アル・カーイダと関係ある反米抵抗勢力が、虐待への報復として米民間人を惨殺する模様をイスラム系ウェブサイトで公開し、米国社会に衝撃を与えた。イラク人とアメリカ人の間で"報復と憎悪の連鎖"が始まった。
米英軍主導の連合軍暫定当局(CPA)は、6月末に主権移譲をするための作業を進めているが、イラク情勢は、なお安定にはほど遠い。11日未明には、治安維持にあたるオランダ兵士2人が、サマワの中心地で手榴弾の炸裂によって死傷するという事件が起きた。サマワに駐留する部隊への攻撃で死傷者が出たのは初めてで、自衛隊員約550人が駐留する宿営地から約5kmしか離れていない地域だった。
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