戦後、日本では、都市もまた投資効果によって判断されるべき〈消耗品〉のように考えられてきた。アメリカ型の大量生産、大量消費に浮かれる社会にあって、経済の途方もない力は、都市、建築にも常なる〈新しさ〉を求め続け、ひたすらスクラップアンドビルドが繰り返されていく――そこに〈旧いものを残し活かしていく〉システムが根付く余地はなかった。 寺社や史跡など、近世以前のものなら国の文化財保護行政の中で、博物館的に保護されている場合もあるが、明治、大正、昭和初期といった近代以降の街並みは現在も都市の中心部を占めていることが多いため、なかなか救いの手が差し伸べられない。そうして日々の生活の中で人々の意識に生き続けてきた〈風景〉は、容赦なく失われていき――時間的な連続性を持たない、記憶を分断された〈貧しい〉都市空間がつくられてきた。 現在、経済不況脱出の一つの手立てとして、さかんに〈都市再生〉が謳われている。とりわけ、東京では、これまで凍結されていた再開発計画が次々と動かされるようになり、規模としてはバブル期を上回るスケールで展開している。 確かに都市経済活性の面では、ある程度の成果を上げているかもしれない。だがそこに、かつて同潤会が示したような、夢と理想はあるのだろうか。全てがそうだというわけではないが、最近の東京の再開発事業を見ると、私には、結局、戦後から続く無秩序な都市開発の域を出ていないように思えてならない。民間企業のリードによることを考えると、むしろより直接的に、経済が都市空間に反映されている感すらある。
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