さて、これからのリーダーたちは世界的規模で活躍することになるだろう。共通語としての英語をしっかり身につけることは言うをまたない。それにも増して肝要なのは、日本の伝統や文化を深く理解し、心身の糧とすることである。自国に対する敬愛と衿持(きょうじ)があってはじめて世界に存在する多様な価値観を理解でき、また、相手も敬意を払ってくれるものだ。六年間の一貫教育はこの点でも有利である。全員に古文や漢文を履修させて、古典に親しむための素養を作ることや、自国の歴史を深く、かつ、系統的に学習することを可能にするからだ。 愛知県東三河の一三万平方メートル(四万坪)に展開する敷地の中で、のびのびと育ってくれるような生徒に全国から来てほしい。荒削りでも潜在的能力のある生徒だ。どのような選考方法とするかは検討中だが、受験勉強の成果を見るのではなく、本人に内在する可能性を見抜けるよう手間ひまをかけたい。 六年間の生活を終えれば大学受験ということになろうが、大学進学実績そのものを目的とはしない。しかし、結果として生徒が行きたいと思う進路へ進めるだけの実力を身につけさせる。東大へ入る生徒ももちろんいるだろうが、海外の大学、例えばオックスフォードやプリンストンに受かっても何の不思議もない。これらの大学は筆記試験にあまり重きをおかず、本人の過去の活動の実績や人格的バランス、表現力や論理性といったものを総合的に評価するからだ。独立行政法人化によって日本の大学もこのような方向に進むことは必定だ。そうなったらそうなったで本校の生徒はますます有利ということになろう。
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