いま富士山をきれいにする運動にかかわる人々の間で「富士山を世界遺産に登録しよう」という動きが持ち上がっている。二〇〇五年四月には「富士山を世界遺産にする国民会議」がスタートした。 世界遺産とは、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」に基づくもので、日本は九二年にこの条約を批准している。 じつは「富士山を世界遺産に」という運動は、条約批准直後から始まり、九四年には、約二四〇万人の署名を添えた請願が国会で採択された。しかし、政府はユネスコに申請するリストに富士山を加えようとはしなかった。富士山では、ごみを中心とした人為的な環境破壊が進んでいるというのが、申請に消極的な理由だった。 富士山にかぎらず、どこの国の山だろうと、ごみだらけの山が世界遺産に登録されるはずがない。いま、ボランティアによる清掃活動が実を結んで、五合目以上はきれいになった。しかし、これくらいの成果では、まだまだ世界遺産の登録はむずかしいと思っている。 そのもっとも大きな障害が、裾野に広がる広大な樹海に捨てられたごみである。このごみは、五合目以上のごみとは中身が違う。そのほとんどが産業廃棄物なのである。 私たちが、樹海で清掃作業をおこなうと、ドラム缶、廃材、タイヤ、車、家電製品などの不法投棄物の山になる。アスベストの不法投棄もあった。大量の医療廃棄物の山にうろたえたこともある。すでに化学物質で土壌が汚染されてしまった場所もあった。硫酸ピッチ(不法軽油を製造する際に発生するコールタール状のもの)入りのドラム缶を二〇〇本以上回収したことがある。 もし硫酸ピッチが水源を汚染したら、その責任は誰が負うのか。誰がどうやってもとの自然を回復させるのか。水源の汚染が確認されてからでは遅いのだ。 廃棄物を樹海に捨てることが違法行為であるのはいうまでもない。しかし、三〇〇〇ヘクタールもある樹海を、常時パトロールするのは事実上不可能だから、現実には誰も取り締まることができない。実際、はじめのころは、私たちがこれらの廃棄物を回収しても、引き取ってくれる自治体はなかった。 そればかりか、自分たちの行為が反社会的であることを自覚しているからか、私に悪質な嫌がらせを仕掛けてくる業者もあった。身の危険を感じて、私は何度かの引っ越しを余儀なくされた。 もうおわかりのように、じつは私たちの前に立ちふさがっているのは、つねに行政を含めた「人間の壁」なのである。
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