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論 点 「富士山は世界遺産になれるか」 2006年版
富士山をごみのない山にする――世界遺産登録をめざす前にすべきこと
[世界遺産についての基礎知識] >>>

のぐち・けん
野口 健 (アルピニスト)
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外国人登山家に指摘された富士山の惨状
 私の名刺の肩書きは「アルピニスト」である。しかし、マスコミやシンポジウムで、「環境保護の活動をされているアルピニストの野口健さんです」と紹介する人のほうが多い。というのも、高山に残されたごみの清掃活動をおこなっているからだ。
 しかし、環境の専門家のようにいわれると、少々面映ゆい。なぜなら、山の清掃を始めてまだ五年ほどだからである。私が登山の道に入ってほぼ一七年になるが、それまでの私は、ひたすら頂上を目指すだけのアルピニストだった。
 私が高山に放置されたごみを意識したのは、一九九七年(平成九年)、世界の最高峰であるエベレストに初めて挑戦したときのことだった。酸素が薄く、歩くことさえきつい七〇〇〇メートルを超える場所で、国際公募隊のメンバーが、突然ごみの回収を始めたではないか。私はショックを受けた。
 彼らと話し合いをしているとき、隊員の一人が、
 「お前たち日本人は、ヒマラヤをマウントフジにするつもりか」
 といった。私はこの言葉がひっかかった。
 〈富士山はきれいなはずだが……〉
 しかし、この印象はたった一回、夏の富士山に登ることで、あっけなくひっくり返った。私は富士山といえば雪におおわれた厳寒期しか知らなかったのだ。
 五合目までは車の渋滞、五合目付近にはお店が建ち並び、頂上には自動販売機までズラリと立っている。さらに山小屋の裏にはごみの山、そしてトイレは糞尿の垂れ流しである。
 それもそのはず、富士山の入山者は一シーズンで三〇万〜四〇万人におよぶ。その糞尿の量を想像できるだろうか。
 私は、日本のシンボルである富士山の現実にあらためて愕然とした。エベレストの清掃登山と並行して富士山の清掃登山を始めようと決めたのは、このときである。
 それから五年、いまでは毎日新聞、産経新聞、そして地元NPOの「富士山クラブ」が賛同してくれて、清掃活動を続けているが、成果は着実にあがった。
 五合目から上のごみは、目に見えて減った。キャンペーンのかいあって、登山者は片手にごみ袋を持ちながら登るようになった。バイオトイレを設置する山小屋も出現した。自腹を切って清掃に集まってくれる人たちが出てきたことが何よりの成果である。そうした意識を持った人々が、その体験を自分の口から周囲の人々に話してくれることが、山でごみを捨てない人を増やしていくことになるからだ。


最大の障害は樹海の産業廃棄物
 いま富士山をきれいにする運動にかかわる人々の間で「富士山を世界遺産に登録しよう」という動きが持ち上がっている。二〇〇五年四月には「富士山を世界遺産にする国民会議」がスタートした。
 世界遺産とは、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」に基づくもので、日本は九二年にこの条約を批准している。
 じつは「富士山を世界遺産に」という運動は、条約批准直後から始まり、九四年には、約二四〇万人の署名を添えた請願が国会で採択された。しかし、政府はユネスコに申請するリストに富士山を加えようとはしなかった。富士山では、ごみを中心とした人為的な環境破壊が進んでいるというのが、申請に消極的な理由だった。
 富士山にかぎらず、どこの国の山だろうと、ごみだらけの山が世界遺産に登録されるはずがない。いま、ボランティアによる清掃活動が実を結んで、五合目以上はきれいになった。しかし、これくらいの成果では、まだまだ世界遺産の登録はむずかしいと思っている。
 そのもっとも大きな障害が、裾野に広がる広大な樹海に捨てられたごみである。このごみは、五合目以上のごみとは中身が違う。そのほとんどが産業廃棄物なのである。
 私たちが、樹海で清掃作業をおこなうと、ドラム缶、廃材、タイヤ、車、家電製品などの不法投棄物の山になる。アスベストの不法投棄もあった。大量の医療廃棄物の山にうろたえたこともある。すでに化学物質で土壌が汚染されてしまった場所もあった。硫酸ピッチ(不法軽油を製造する際に発生するコールタール状のもの)入りのドラム缶を二〇〇本以上回収したことがある。
 もし硫酸ピッチが水源を汚染したら、その責任は誰が負うのか。誰がどうやってもとの自然を回復させるのか。水源の汚染が確認されてからでは遅いのだ。
 廃棄物を樹海に捨てることが違法行為であるのはいうまでもない。しかし、三〇〇〇ヘクタールもある樹海を、常時パトロールするのは事実上不可能だから、現実には誰も取り締まることができない。実際、はじめのころは、私たちがこれらの廃棄物を回収しても、引き取ってくれる自治体はなかった。
 そればかりか、自分たちの行為が反社会的であることを自覚しているからか、私に悪質な嫌がらせを仕掛けてくる業者もあった。身の危険を感じて、私は何度かの引っ越しを余儀なくされた。
 もうおわかりのように、じつは私たちの前に立ちふさがっているのは、つねに行政を含めた「人間の壁」なのである。


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personal data

のぐち・けん
野口 健

1973年米国ボストン生まれ。16歳で欧州最高峰モンブラン、17歳でアフリカ最高峰キリマンジャロに登頂、92年、「7大陸の最高峰に登る」と公約し、一芸入試で亜細亜大学に入学。その後、豪州のコジウスカ、南米のアコンカグア、北米のマッキンリー、南極のビンソン・マッシフに登頂し、99年にはアジア最高峰エベレストの登頂にも成功、7大陸最高峰登頂世界最年少記録を作る。エベレストや富士山で清掃登山隊を組織、多くのごみを回収している。著書は『落ちこぼれてエベレスト』など。



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