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論 点 「外交の軸足は米国かアジアか」 2006年版
東アジア共同体を視野に日米同盟を活用し、バランスある能動的外交を
[日本外交の軸についての基礎知識] >>>

たなか・ひとし
田中 均 (前外務省審議官、日本国際交流センターシニアフェロー)
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▼対論あり

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日米同盟は核抑止力としての唯一の選択肢
 核を持たない日本が、核を持つ中国、ロシア、核を持とうとしている北朝鮮に囲まれてどう自国の安全を担保し、繁栄を確保していくのか。いずれの国も統治体制が異なり、守るべき価値は同一とはいえないだろう。北朝鮮の核開発は早晩解決されるべき問題であるが、中国やロシアの核放棄は現実的には想定されない。もちろん、これらの諸国が核を使用するという蓋然性は低いが、将来の政策は不透明な面があり、日本が脅威を受けないで生存していくためには、最低限の核抑止力は必要となる。
 それでは、日本に核兵器保有の現実的な選択肢はあるのだろうか。核兵器開発の技術的可能性は別として、政治的コストはあまりに大きい。これは核拡散防止条約からの脱退を意味し、国連憲章七章の国際平和への脅威と認定されるであろうし、日本は国際的孤児となる。
 したがって、基本的な統治体制と、守るべき価値を共有する米国との安全保障条約の下で、核抑止力を維持するのがほぼ唯一の選択肢となる。同じ同盟国でも、英国は自国も核保有国として、米国と核技術を共有することこそが同盟関係の基礎となっている。日本の場合、基本的な安全保障を米国に依存するがゆえに、米国と対等の関係を構築するというのは実際には容易ではない。しかしながら、戦後六〇年間の日米関係の最大のポイントは、この容易ならざる外交にあったといっても過言ではない。


実体をともなわなかったパートナーシップ
 敗戦後、日本はサンフランシスコ平和条約や日米安保条約を締結し、その後、日米安保条約の改定や沖縄返還を実現し、主権国家としての体制を固めることとなる。しかし、日本の国力が急速に拡大した七〇年代や八〇年代においても、安全保障上の大きな脅威が存在した冷戦下では、日米の基本的関係は変わりようがなかった。日米首脳会談を行うたびに、「対等のパートナーシップ」といったキャッチフレーズ作りにこだわっても、実態がそうではないことは誰の目にも明らかであった。
 日本の政策担当者たちは、米国との関係をより対等で相互的なものにするためにも、国際社会で日本としての役割を拡大していく必要があると考えた。政府開発援助を拡大し、米国の外圧利用といわれながらも、経済面では市場開放を進める。
 冷戦が終わった九〇年代前半に生じた二つの危機――第一次湾岸戦争と第一次朝鮮半島核危機――は日本の大国意識を惨めに打ち砕く。前者は一三〇億ドルという多額の資金協力を行いながら、国際社会では「金は出しても汗を流そうとしない日本」というイメージを定着させる結果となり、後者では、日本周辺の危機において国を守る体制ができていないことを露呈させる。日米防衛協力のガイドラインや周辺事態法、有事法制さらには、インド洋やイラクへの自衛隊の派遣を可能にした反テロ特措法やイラク特措法は、二つの危機から学んだ結果であり、日本の国力に応じた責任を果たしていくための措置であった。


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論 点 「外交の軸足は米国かアジアか」 2006年版

対論!もう1つの主張
「膨張する中国」の脅威――日米同盟の重要性はかつてなく高まっている
中西輝政(京都大学大学院教授)


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personal data

たなか・ひとし
田中 均

1947年京都府生まれ。京都大学法学部卒。外務省入省後、北米局北米第二課長、アジア局北東アジア課長、駐英公使、在サンフランシスコ総領事、経済局長などを経て、アジア大洋州局長、外務審議官を歴任。02年9月の電撃的な日朝首脳会談は、約1年前から続けたねばり強い折衝の結果だった。この間のいわゆる「秘密交渉」とその後の言動が一部でバッシングを受けたが、「大きな土俵」で国益を考えるべきという信念は揺るがなかった。05年8月退官、日本国際交流センターシニアフェローとなる。



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