イラクで何かが起こるたび、また中国の経済に変化が見られるたび、日本の外交は変わるべきだと主張される。しかし、それを論じるには、日本の外交は何を前提としてきたのか、日本を位置づけている世界の構造はいかなるものかが問われねばならない。 政策研究大学院大学の白石隆教授は、『帝国とその限界』(NTT出版)で、第二次世界大戦以後における東アジアの構造を次のように把握する。〈冷戦の初期、アメリカは、東アジアにおいて、ふたつの戦略的問題に直面した〉。国際共産主義運動の中心であるソ連をどう封じ込めるか、また、日本を復興させつつもアメリカの脅威にならないよう封じ込めるにはどうするかのふたつである。 〈このふたつの問題に対するアメリカの答えが、日米、米韓、米比などの二国間の安全保障条約、基地協定の束としての地域的な安全保障体制の構築、そして経済における日本・アメリカ・東南アジア(そして韓国、台湾)の三角貿易体制の構築だった〉 しかし、政治および軍事において日本は完全な自由を持たない〈半主権国家〉にすぎず、アメリカの戦略家ジョージ・ケナンのいう〈頚動脈に軽く置かれた手〉に運命を握られた存在にとどまる。また、原料をアジアに求め輸出先をアメリカに求めるという三角貿易体制では中心を占めたが、それはナンバーワンとなったわけではなく、常にアメリカが後ろ盾となるナンバーツーとしての役割だった。
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