二〇〇二年(平成一四年)の9・17小泉訪朝で北朝鮮側が安否情報を出したのは一三人、この中にはそれまで政府が安否照会はしていたが拉致認定はしていなかったヨーロッパ拉致の被害者、石岡亨さんと松木薫さん、安否照会すらしていなかった曽我ひとみさんが入っていた。そして、政府認定の久米裕さんについては入国していないというのが北朝鮮の発表だった。 その後、石岡さん、松木さん、曽我ひとみさんと、ひとみさんと同時に失踪したお母さんのミヨシさんの四人を、日本政府は拉致認定した。私は二〇〇五年版の本書に、「拉致被害者は全部で何人いるのか?」という題で寄稿したが、当時の政府認定拉致被害者はこの四人を追加した一五人だった。 そして二〇〇五年四月二七日、政府は田中実さを拉致認定した。田中さんは神戸のラーメン屋の店員で、一九七八年に騙されてウィーンに行き、そこから工作員に北朝鮮に連れて行かれた。 一五人から一六人になるまで二年半である。私は二〇〇五年版で書いた通り、拉致被害者の数は少なくとも一〇〇人以上と思っている。仮に一〇〇人としても、いまの時点の認定被害者一六名を引いて八四人、二年半に一人ずつ認定していくと二一〇年かかる計算だ。 二〇〇五年六月一四日、参議院内閣委員会で細田博之官房長官は民主党森ゆうこ議員の「拉致認定のやり方を変えるべきではないか」との質問に対し、次のように答弁している。 「いわば犯罪の被害者、いわば誘拐ではございますから、その犯罪の被害者として、だれか特定の人が特定の場所でこういう経路でだれが手伝って連れていったと、拉致をしたということをやはり警察当局がしっかりとした証拠固めをして、そして認定をするという仕組みでやっております」 事件はきのうきょうに起きたのではない。政府認定者の中で一番新しい拉致でも一九八三年の有本恵子さん、いまから二〇年以上前の事件である。今認定されていない拉致事件の中で、犯罪として立件できる程度の証拠が残っている事件は、おそらくごく一部にすぎない。だからこそ二年半でやっと一人なのである。 同じ答弁の中で細田官房長官は「具体的にどうやって助けるのか」という質問に対し、次のように答えている。 「先方も政府で、彼らのこの領土の中においてはあらゆる人に対する権限を持っておりますので、これは我々が説得をして、そして彼らがついに、実は生きておりました、全員返しますと言うまで粘り強く交渉をすることが我々のいまの方針でございます」 これはつまり、拉致されてしまったら煮て食おうと焼いて食おうと北朝鮮の自由です、と言っているのに等しい。こんなことで拉致被害者を返す国なら、そもそも拉致などするはずはない。 「粘り強く……」、拉致問題に関わってから、この言葉を何度聞いただろう。総理、外務大臣、官僚、「政府関係者」という範囲でくくれるあらゆる人々がそう語った。確かに政府は「粘り強く」やっている。しかし、私たちにはこの言葉は、「家族や支援者、そして本人たちが死ぬか諦めるまで」と聞こえるのである。
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