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2006年版
[東京裁判についての基礎知識]
[基礎知識]東京裁判は「勝者による復讐」だったのか?


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東京裁判の経緯
 極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判は一九四六年五月三日、東京・市谷の元陸軍省(現自衛隊市ヶ谷駐屯地)の大講堂の特設法廷で開始された。前年八月一四日のポツダム宣言受諾、一五日の終戦、九月二日の降伏文書調印に続く、連合国による日本の敗戦処理手続きの一環だった。ポツダム宣言は第一〇項で戦争犯罪人の処罰を求めており、それに基づき、四六年一月には国際軍事裁判所条例が作られていた。
 裁判の主宰者はマッカーサー連合国軍最高司令官で、判事は、戦勝国のうちアメリカ・イギリス・中国・ソ連など一一カ国から一人ずつ任命され、裁判長にはオーストラリア代表のウエッブ判事が就いた。検事はアメリカのキーナン主席検事ら一一人、対する日本側は、鵜沢総明弁護団長、清瀬一郎副団長らにアメリカ人弁護士を加えた総勢五〇人を超す弁護団で裁判に臨んだ。
 裁判では通例の戦争犯罪に加えて、中国・アメリカなどに対する「侵略戦争遂行の共同謀議」「侵略戦争の遂行」など五五の訴因について争われ、四一六回の審理に四一九人の証人が証言した。四三三六通の証拠書類が採用されて、四八年四月一六日に結審、同年一一月一二日に判決が言い渡された。
 A級戦犯が問われた「平和に対する罪」(侵略戦争を計画・準備・開始・遂行し、または共同謀議に参加した罪)は、国際軍事裁判所条例第五条に規定された犯罪であり、被告らの行為がなされた後に制定された、いわゆる事後法であった(事後法による処罰の禁止は、近代刑罰論の基本原則である)。B・C級戦犯に問われた「人道に対する罪」も同じだ。
 なお、A・B・C級は罪の重さによる等級ではなく、それぞれ「戦争全般についての指導的役割についての責任」「通例の戦争犯罪に対する指揮・命令・防止義務違反の責任」「通例の戦争犯罪に対する実行者としての責任」というカテゴリーの区分である。死刑に処せられた数は、A級の七人に対してB・C級九八四人と、B・C級の方がはるかに多い。


裁判の正当性に対する疑問
 東京裁判の正当性は裁判中より大きな問題とされてきた。
 裁判の冒頭手続において清瀬弁護人は、(1)東京裁判の目的はあくまでポツダム宣言に基づく戦争犯罪人の処罰であり、国際法に規定のない「平和に対する罪」などを裁く権限はない、(2)侵略戦争は国際法に定められた犯罪ではない、(3)国家の起こした戦争において個人の責任は問われない、などとして裁判そのものの不当性を申し立てたが、却下された。
 インドのパル判事は判決の少数意見で、「平和に対する罪」などを法理論的に追及し、「東京裁判は戦勝国による儀式化された復讐である」として被告全員の無罪を主張した。さらに、非戦闘員の生命財産の無差別破壊が違法だとしたら、アメリカによる原子爆弾の使用こそがナチスのユダヤ人絶滅指令に似た唯一のケースであるとして、裁く者の手も汚れていることを鋭く指摘した。しかし、パル判事の少数意見書はウエッブ裁判長に拒否され、法廷では読み上げられなかった。
 さらに五一年五月、アメリカ上院軍事外交合同委員会の席上、マッカーサー連合国軍最高司令官は「日本が戦争に突入した目的は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」と証言し、侵略戦争でなく自衛戦争であったとの認識を述べた。
 これらの見解は、その後のA級戦犯無罪論や、東京裁判否定論の根拠となり、自民党の政治家や保守系知識人の口からしばしば繰り返されて、時に舌禍事件を引き起こした。


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論 点 東京裁判をどう評価すべきか 2006年版

私の主張
日本人よ、東京裁判と訣別せよ。過去への問いを歪めないために――
福田和也(文芸評論家、慶應義塾大学教授)


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