一〇世紀刻みの歴史観で今のイスラム原理主義のテロリズムの原因を探ると、人はみなハンティントンの「文明の衝突」だとか、十字軍に遡るキリスト教とイスラム教の「宗教戦争」だときめつけ勝ちだが、少し違うと私は思う。二、三世紀という刻みでみると、アフガニスタン、イラク戦争が引き金となったアラブ・アフリカの一九世紀における被征服民族の欧米帝国主義諸国の植民地支配に対する報復、遅ればせの、つまり反帝戦争だと思う。 二〇〇五年七月のロンドン地下鉄バス爆破テロは、中東、インド、パキスタン、東南アジアなど世界の三分の一を植民地化して莫大な富を搾取した英国に対する二世紀越しの反帝勢力の復讐であり、9・11同時多発テロ以後はいつ起きても不思議のない情勢だった。二〇〇四年三月に列車爆破テロにあったスペインの植民地支配の歴史はもっと長いし、テロ組織に名指しされたイタリアもムッソリーニのエチオピア侵略がある。 アメリカだって、いまは人権擁護だの領土的野心はないだの、きれいごとをいっているが、それは公民権運動が国の政策となって以後の話で、何百万という黒人奴隷の人身売買、西部開拓によるインディアン滅亡、それが太平洋岸に達した後もウエストワード・ムーブメントは続き、一九世紀末にハワイ王国を併呑し、米西戦争、米比戦争をやってまでフィリピンを植民地化している。一九〇五年日露戦争で日本の勝利確実とみるや、セオドア・ルーズヴェルト大統領はタフト陸軍長官(後の大統領)を日本に派遣し、時の総理桂太郎との間に「桂・タフト秘密協定」を結んで、日本の朝鮮半島の優越的支配を認める代わりに日本に米国のハワイ・フィリピン併合を相互承認させている。 イラク戦争参加を拒否した独仏も、一九世紀は植民地獲得に狂奔していた。だがドイツは第一次大戦でコンゴ、青島、南洋諸島を失うなど早々と罰を受け、フランスも仏印三国、とくにベトナムのディエンビエン・フー、アフリカのアルジェリア紛争で厳しい報復を受け、ドゴール大統領の一大決断で二〇世紀中に禊(免罪符)をすませている。 イスラエルを建国させ、ユダヤ対イスラムの四回に及ぶ戦争でも解決できない宿怨と憎悪の殺し合いをユダヤ寄りの姿勢で続けさせているアメリカや石油利権をはじめ旧宗主国としての既得権益を手放さないイギリスの罪は独・仏・伊・西(スペイン)・葡(ポルトガル)・白(ベルギー)よりはるかに重く、イスラム原理主義テロリストの憎悪は根深い。
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