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論 点 「東京裁判をどう評価すべきか」 2006年版
日本人よ、東京裁判と訣別せよ。過去への問いを歪めないために――
[東京裁判についての基礎知識] >>>

ふくだ・かずや
福田和也 (文芸評論家、慶應義塾大学教授)
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対ドイツとは違って報復的だった東京裁判
 東京裁判は、ニュルンベルク裁判をもとにして行われたものですが、双方の判決を比較すると、ドイツでは死刑とされた被告のほとんどが、戦争犯罪にたいしてくだされ、平和にたいする罪の量刑は軽いものだったのにたいして、東京で死刑に処された被告は、侵略の首謀者として平和にたいする罪を問われたものがほとんどでした。この差は、ドイツにたいする処置にくらべて、日本にたいする姿勢が、より報復的であり、政治的であること、つまりは日本を悪として定着させることを目的としていたことをよく示しています。
 実際、ナチスにおけるホロコーストのような、民族や思想で選別した人々を計画的に大量虐殺するような犯罪を日本は犯していません。たしかに戦争をおこなった以上、さまざまな側面で責任を問われるべき、反省するべき事由がありましたが、それとてアメリカやイギリスといった交戦国に比して多いとは到底いえません。
 ポツダム宣言に、戦争犯罪人を厳重処罰することが記されていました。ですから、受諾した日本はその点については承知していましたし、事実、日本人自身の手で、裁判を行う用意も進められていたのです。
 けれども、昭和二十一年一月、連合国最高司令官マッカーサーは、極東国際軍事裁判所設立すると宣言して、オーストラリアのウエッブ裁判長、アメリカのキーナン主席検察官ほか十一カ国から裁判官、検察官が任命され、勝者が敗者を裁く儀式がはじまったのです。
 弁護には、二八人の日本人と二二人のアメリカ人があたりました。審理の過程で、極東国際裁判所条例は、事後立法であり、事後法で裁くことは違法ではないか、戦勝国にのみ平和に対する罪について裁判をおこなう根拠はどこにあるのか、国家の行為である戦争について、個人の責任を問うことができるのか、ポツダム宣言に記されていた戦争犯罪人は、従来の概念の戦争犯罪人であって、「平和にたいする罪」といった新奇な概念は念頭におかれておらず、このような裁判は降伏条件に違反するのではないか、といった根本的な異論が提示されましたが、弁護側が用意した膨大な資料とともに、とりあげられることなく、被告全員が有罪とされ、東條英機以下七名が死刑、木戸幸一以下十六人が終身禁固、二名が有期禁固刑という判決がくだされました。
 裁判長をつとめたウエッブはドイツと比較した場合、死刑に相当する被告は一名もいないという反対意見をのべ、インドのパル裁判官は判決本文よりも長大な意見書を書いて全被告人が無罪だと主張したことは有名です。


拙速かつ米・ソ・中に都合のよい裁判だった
 一連の経緯を見ていけば解るように、裁判自体は、きわめて恣意的かつ政治的なものでした。世界大戦を裁く法廷というものを許容するにしても、それはあまりにおそまつであり、拙速なものだったのです。けれども、この結論は、アメリカやソビエト、中国などの諸国にとってはきわめて都合のよいものでした。日本を非難し続けることができますし、原爆投下や中立の蹂躙など自分たちの蛮行を覆い隠すことができるからです。けれども、列国の都合に、日本人までが服する必要はありません。必要がないどころか、それは大変な悖徳であり、自らを害する行為といわなければなりません。
 現在、生きている私たちが、あの戦争が何だったのか、どのような過ちをおかしたのか、反省するべきなのか、と思い巡らすことは、当然のことですし、そうした思惟がなければ歴史を語ることも、未来を眺めることもできないでしょう。東京裁判と、その判決に訣別する必要があるのは、過去への真摯な問いを閉ざし、歪めてしまうからです。


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議論に勝つ常識
2006年版
[東京裁判についての基礎知識]
[基礎知識]東京裁判は「勝者による復讐」だったのか?



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ふくだ・かずや
福田和也

1960年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。現在、同大学環境情報学部教授。日本文化を論じる気鋭の批評家として活躍している。93年には初の文芸評論集『日本の家郷』で三島由紀夫賞を受賞した。『いかにして日本国はかくもブザマになったか』『総理の値打ち』『地ひらく』『遥かなる日本ルネサンス』『なぜ日本人はかくも幼稚になったのか』『魂の昭和史』『日本人の目玉』『価値ある人生のために』『俺の大東亜代理戦争』『美智子皇后と雅子妃』など著書多数。
執筆者他論文
(2003年)「核均衡の崩壊」を直視すれば核武装も検討されるべき選択肢の一つである
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